「こばと。」のアニメを見ています。漫画はニュータイプで少し読んで、アニメも琥珀が出ていたな〜くらい見ていました。前野智昭さんが出ていると気が付き、一話から見ることにしました。
流石前野さん。「来るな」「浮かれてんな(確かこんなセリフだった)」と言われても、怖くないです。怖いようなアニメでもキャラでもないのですが。「こばと。」の雰囲気と前野さんの雰囲気は合っていると思います。天使。
ある違う作品で達の怒っている演技を聞いたら、本当に怖かったです。「くんな」と威嚇する場面だったんですが、即行謝って蹴躓きながら逃げ出す声でした。逆に達のデレ声が聞けるアニメは少ないです。デビュー当時の歌の様な、さわやかで高めの声をここしばらく聞いていない気がします。
PAPUWA、通読二回目です。ギャグ部分の多い漫画なんですが、ギャグの中に思いがけないメッセージが含まれている時が多くて、気が抜けません。昔はオーバーなギャグ表現がよくわからなくて、その上青の一族の話がよくわからなくて途中で放棄しました。
(おっけーグンマ様のくだりは濃厚に覚えている。長い黒髪の、当時そんな言葉もなかったストーカータイプの頭脳派ってやっぱりドンピシャでストライク。)
リアルタイムで結構複雑なパプワの世界を読むのは、中学生にはきつかったかもしれません。なんだかんだ言って、青の一族の話はどう読み流しても辛い部分があります。よく読むと泣いちゃう話。あと極めて些細な疑問から考えると、「そんな大昔から人口受精の技術ってあったっけ?」ということとか。
(考えてもムダっぽいけど、一族の血を維持していくのに女性をほぼ無関係にして残すのは難しいのでは。政治的な問題と言っていたけど、それは身分のある女性と結婚した場合であって、徳川家康はあえて身分の低い女性を近づけていたし。なんというか、歴史の大部分は女性抜きで話が進行するので、そこまで頑張って女性の存在を省かなくても。
でもマジックの溺愛ぶりや、高松の身のほどこしようは、青の一族とその関係者ならではだと思うので、問題ない。もし彼らの身近に母親がいたならと思う事はあるけど、あのパプワの世界が好き。)
高松。
最初に言うと、高松のグンマへの愛し方は正しかったのだなと思います。愛に正しいとか間違っているとかはないと思いますが、数年後に「最初からやりなおさなきゃ」と悔いる愛し方は悲しいです。
マジックのシンタローへの愛、シンタローのコタローへの愛は、自己愛が強い気がします。相手と自分が生まれた時からつながっている感覚というか、既に他人じゃない相手への愛って、隙間がなくて苦しい部分があります。それだけ深い愛には違いないですし、マジック、シンタロー、コタローがパプワ島を通して家族になっていく様子は泣かせます。
高松とグンマは最初は他人です。マジック、ルーザーとのからみもありますが、青の一族でない高松は一からグンマとの関係を作らないといけません。目上の存在である一族の子供ですから、一定の距離があるうえに、グンマが大きくなれば、乳母の様だった高松は必要なくなるかもしれません。
でもグンマが素直で家族思いのまま大きくなったのは、高松の愛ゆえでしょう。あの高松が一人の人間を親のように愛し続けられたのもすごいですが、反抗期を迎えてすねたくらいですから、お互いの愛情は確固として深かったと思います。高松がいなくても数年やっていけるくらい、グンマも十分たくましくなりましたし。あの個性的な一族の中で明るい笑顔を見せてくれる子に育ったのは高松の深い愛ゆえかなと。
愛、愛いうと安っぽくも息苦しいですが、高松の気持ちは愛だと思います。忠誠心、敬愛、信愛、友愛、いろんなものが含まれていると思いますが、いっぱい語っても陳腐になってしまいそうです。 -----------------------------7dc2b13020444 Content-Disposition: form-data; name="image"
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