南国、PAPUWAを読んでモヤっとしていたので、ネットの感想をあれこれ読んでみました。両作品ともテンション高く読んだので完読済みですが、PAPUWAの再読に二の足を踏む内心の理由は何だろうなと。
コタロー、シンタロー、サービス、ハーレム、後半のリキッド、ミヤギ・・・の女王様ぶりに馴染めなかったのかもしれません。それぞれキャラの個性だと思って読んでますが。金髪碧眼組で女王様でないのは、キンちゃんとグンマくらいな気がしました。
マジックは女王というより覇王なので別格だと思います。山南ケイスケという心酔者を抱えていますが、山南は正しく敬服していると思います。マジックに盲従するのではなく、自分なりにマジックの要素をアレンジして、アグレッシブに己の人生に取り込んでいるから。自己完結しない、この両作品では珍しい心酔の姿。
キンちゃんとグンちゃんが、青の一族でありながら女王でないのは、高松から「人間、仕事をしましょう。頭使って下さい。格闘は必要最小限でかまいません。」「貴方がたが威張らなくても、欲張らなくても、私は貴方がたのお側にいます。」というメッセージを生まれたばかりの時に与えられているからでは。
高松の劇的な過保護ぶりを美化するつもりはないのだけど、キンちゃん・グンちゃんまで女王様だったら、ちょっと困るかも。でも世界各国の美少年・美青年が100人いたとしても、その中からキンちゃんとグンちゃんを間違いなく見つけられるだろう高松が好き。
ルーザーもサービスを溺愛しているけど、「絶対お前を離さない。お前以外無価値。」的な、密着度が限りなく高い愛し方に思える。サービスは生まれたばかりの時に与えられた愛情がそういう性質のものだったから、もうサービスにとっての愛情ってそういうものしか認められないのかも。だからジャンに辛くあたって、いちいち確かめるのかも。
高松も密着度の高い愛し方だけど、一族の人間でないせいもあってか、キンちゃん・グンちゃんとある程度距離を置ける愛し方だから、ちょっと安心出来るかも。二人の反抗期にすねたとあるけど、反抗された親の方が家を出るという、不規則ぶり。自分から二人に対し身を引ける所に、高松の愛を感じました。
コタローの場合、「マジック総帥の息子だから威張っている」のではなく、ましてやお子様独特の気ままさではなく、「自分が美少年だから全てに優遇される」と思っているあたりはネタなのか何なのか。「美少年」だからまだネタの様なものですが、単なる威張った美少女だったらと思うと、アンニュイな気持ちになります。(・・・ミヤギの「顔だけ」は限りなくネタに近い気がして来た。)
もし黄金のライオン、マジック達のお父さんが戦場で子供に撃たれて死んでしまった理由が、「マジック達と同い年くらいの少年に、マジック達を思い浮かべてしまい、油断して撃たれてた」というのなら、感動的でしょう。そんな年少にまで発砲される程、あくどい稼業なのかガンマ団ってとも思いますけど。
もしライオンパパの愛が、マジック以外の、世界中の「子供達」へ向いていたなら。ガンマ団の総帥でありながら、軍人でありながら、そんな葛藤がもしパパにあって、マジックがその気持ちを理解していたなら。
マジックが一族への大粛清に走ることはなかったでしょう。粛清のくだりはミツヤの秘石眼に由来する異常さの話のはずだけど、当初の粛清自体はマジックの意思。 |
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