madeingermany

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...... 2012年12月23日 の日記 ......
■ 珍しく   [ NO. 2012122302-1 ]
自分には出来なかった格言。「恋愛中は両目で相手を見て、結婚したら片目をつぶる。」「男性はいつまでたっても子供だから、育てるつもりで。」等、出来る方は格言を暗記したから出来るんじゃないんだろうなと思います。やろうと思って出来なかった事って、色々あります。

申し訳ないくらいくだらない話ですが、高松がそんな事実践していたなあと。自分だったら、理知的と評判のルーザー様でも、「気に食わないとすぐ攻撃して、思い通りにならないと気が済まない」方である部分は、リアルでは目の当たりにしたくないなあと。

高松の念頭には「サービスがジャンにベッタリなのが気に食わなくて、理由を見つけてジャンを排除し、それでもサービスがジャンに恋々としているのを見て、我慢できなかったルーザー様」の姿と、「やっと表に出られたはいいものの、親父らしき男には避けられ、弟と叔父らしい男には戦争のコマにしか見られない。一体いつになったら、俺はシンタローの様に可愛がってもらえるんだ!!というキンちゃん」が重なるのかもしれません。

ルーザー様はもういないけど、キンちゃんだけはグンマと一緒に手厚く育てようとする高松が好きです。キンちゃんの目上の肉親はサービス、ハーレム、マジックとそろっていますが、キンちゃんを「あの子」と呼んでくれたのは高松でした。



先日も書きましたが、なんでジャンはガンマ団のほとんどの人間が知っている、「高松はある時キングギドラより強くなる」というのをスルーしているのかなと。恐らく、ジャンが赤の秘石の関係者であることを突き止めるまでは、ルーザー様から「仲良しのクラスメイトでいろ」と言われていたんでしょう。

単純に、ジャンは死んでいたから「グンマを育てる高松」の姿を見たことがないせいもありますが。あと高松なので、本当に大事な気持ちは、余人に見せないでしょう。ガンマ団の人達には常々「グンマ様をいじめたらただじゃ置きません」と威嚇してましたが、グンマが24歳にもなった今、蘇ったジャンにいちいち言わないでしょう。ジャンだけ知らない、「キングギドラ高松」。

(※昔、キングギドラのフィギュアを持っていました。愛らしいゴジラより、悪そうで強くて綺麗なキングギドラをねだった自分は、今も確実に変わっていません)




チャンネル5を読んでいたら、思いのほか伊達長官の事が話全体に響いているんだな、と思いました。柴田先生の漫画では珍しい、妻と娘がいる成人男性なので、流石アニメ誌でも古風なアニメージュらしい部分だと思っていました。

ところがグリーンでのエドガーの苛立ちを見ると、伊達長官夫人と美雨お嬢様への苛立ちの分まで、刃に向かっている気がしました。冒頭のレッド&ブラック対ブルーの一戦は結構本格派で格好良かったので、いつもの男同士の展開は来ないだろうと思っていたんです。見事に、伊達長官がエドガーの火種になっていました。伊達長官が男らしくて立派な人だった分、死後のエドガーのフォローは、誰が出来るんでしょう。

伊達長官のお子さんが男の子だったら、再登場してエドガーを慰めてくれるでしょうが、娘さんなだけに、もう再開しても劇中には出てこないなあと思っています。



グリーン。光と紅の絆で星が再生するらしいですが、「刃と雷の傷つかないでの所の真剣味」「ユーミル達女の子を供物にし続けていた事は正当化されたのか」「そんなに住みにくい星なら別の星に行けないのか(メカデザインはマクロスの人だったりする)」「今最終惑星にいるスモーカーのドクターは、元ブルーの偉いバイオ科学者だったんだが、植物の暴走ってあたりで政府が高松に意見を求めなかったんだろうか。」・・・などは、置いてきぼりだろうなと思います。

ブラックの高松がバイオ科学者でもあるのはともかく、グリーンがユーミル達にしてきたことを考えると、あっさり「星が進化して丸く収まりました」では足りない気がします。何かと女性キャラに風当たりが強い作風ですが、ザハ達グレイの民ほど作者から感情移入されていないと言うか、「ユーミル達はあれでよかった」と作者サイドが思っているのかと思うと、ゾッとします。

男の子である光は迷子になっただけで、全力で心配されるのに、ユーミルやオージン達女性の苦悩は拾い上げられない不思議。

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■ 女の一生(モーパッサン)   [ NO. 2012122301-1 ]
高松の事を思うと、意外なことに人くさいなと思います。人柄全部人非人ならいっそ彼も苦しまないだろうと思うですが、ああ見えてスキンシップ大好きなのが微笑ましいと言うか、グンマが「ああすると高松は喜ぶ」と分ってしまったと言うか。

「自分で何でも出来る」と高松に啖呵を切ったのは、グンマとキンちゃんでなくて、キンちゃん一人だったんだじゃないかとすら、思えてきました。24歳の体で生まれて、それなりの行動も求められているキンちゃんなので、いつまでも高松に甘えられないと(何そんなに甘えたんだ)キッパリしてみせたのかも。

グンマは高松が出て行っても、「へ〜」としか思わず、あたふたと自分の仕事に挑むキンちゃんの横で、お菓子食べるか、玩具モドキ(人命のかかった軍用メカともいう)を作っていそうです。

高松がいなくてもグンマが大慌てしなかったのは、キンちゃんが気合入れていたからで、「高松なんていつでも呼べば来る」と未だに思っていたからでは。グンマにとって高松は絶対に側にいるもの、自分の絶対的な味方なので、物理的に離れていても気にならなかったり。一方キンちゃんは、高松にある程度のものを見せてやりたい気概もあるし、「グンマは俺が守る」と意気込んでいる向きもあります。

結局高松は戻ってきてしまって、グンマに甘えてもらえる幸福を噛みしめてしまいます。野生の母キツネの様に、大きくなった子キツネを無理に巣穴から追い出すような気迫は、高松にはないかもしれません。唯一グンマとキンタローが、彼が自分自身に許した幸福なので、厳しいことをいう気になれません。



そんな高松が冷たくブチ切れることが、パプワとチャンネル5の間にあったのでしょうか、「ジャンのいつもの裏切り」。

ジャンは、高松の事を何も分っていなかったのだなと思いました。ただの研究好き、ただのサボリ魔に見えていたのかもしれませんが、高松をよく知っている人なら、彼を怒らせる様な事を避けます。ガンマ団の若手ですら、「ドクターは普段でも既にやばいのに、怒らせるともっとやばい」と知っているのに。キングギドラ。




モーパッサンの「女の一生」を読んでいます。女の一生と言いつつ、ヒロインが修道院から出て若くして結婚して、孫が出来るあたりまでの話なので、女の一生というタイトルにはいつも違和感があります。フランス語で「UNE VIE」なので、女性という言葉も、一生という言葉も原書にはありません。

高校の世界史の授業で取り上げられたり、大学の語学の授業でも触れられたりと、何かと接点が多い小説です。・・・・自分もこんな、「翻弄される優しく美しい美女」に憧れた時期がありましたが、ジャンヌとは似ても似つかない人生を送っています。周囲に甘えている部分は似ているかもしれません。

モン・サン・ミッシェルくらしかノルマンディを旅行したことはありませんが、パリでノルマンディ風のご飯を食べたことがあります。・・・・ヘタリアにはまった事もあり、もともと歴史ものが好きなのとで、心だけ旅行に行くことがよくあって、今気分だけノルマンディです。小説って便利。



明日、鈴木達央さんの出る芝居に行ってきます。達はOCDのライブでもなければ、声優さんのイベントでもないとキッパリ言いますが、頭の中に欠片くらいどうしてもあるのは、許して欲しいと思います。むしろ、「こんな幅のある演技も出来るんだ」と思って、明日は帰って来たいです。

前野さんが、俳優さんは体全部で演技出来て、声優さんは声一本という事に触れ、「図書館戦争の堂上を体全部で演じられる実写の俳優さんが羨ましい」と以前言っていました。達は、「声だけ」ということに強いこだわりがそんなになかったと思うので、今回はさらに自然な達の演技が見られるのかもしれません。

ご覧になった方が、「達に合っている役」と言っておいでだったので、気持ち的に落ち着いて劇場に行けます。

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