原稿を書いていて思ったのですが、意外と高松とグンマって本編で完結しているので、そんなに描くことが浮かびません。二次創作を沢山拝見出来て、楽しませていただいた事もあり、自分の高松とグンマは本編そのものでいいかなと思いました。(その本編への解釈を深めるのが二次創作でもあるので、単に甘えかも。)
もう一つ、高松とグンマについて深めにくい理由があります。高松が愛したのはルーザーであって、グンマを直に愛したわけではありません(グンマ自身への気持ちもあったけど)。24年間の歳月は尊くとも、恐らく高松の中ではルーザー様と過ごした数年間の方が、重いんじゃないかなと思います。ルーザー様が高松を愛したかどうかは分りませんが、あの高松が「自分の才能を認めてくれた」喜びに色々プラスアルファしてしまっているのは確かかなと思います。
そうなると高松のそういう所は、もう若いグンマには手に負えないと思います。ルーザー様と面識があったマジック、ハーレム、サービスならいざ知らず、高松の見えているもの、感じてるものはグンマには分らないものです。(いたずらに崇拝しているように見えて、案外ルーザーの性格等を見切っている高松の不思議。まるで彼氏を見守る彼女の様だ。)
グンマにとって高松って、正解しか弾き出さない機械みたいなものかもしれません。「グンマ様が大切」という姿勢を彼が崩すことはないでしょうし、例え内心ルーザー様に生き写しのキンちゃんの事で一杯であっても、「グンマ様が一番」という解答を常に弾き出す高松なので、グンマには限りなく扱いやすく、かつまるで勝手が利かない機械の様な男でしょう、高松は。
グンマは高松の人形ではなくて、覇王の血が濃く流れている、青の一族の子なのだと、今更思います。多少性格が可愛らし過ぎて眼魔砲の訓練等は省略されていた向きもありますが、庶民である高松一人あやせるくらいの力量なら、グンマにもあると思います。
好きなだけ、自分の事もキンタローの事も、ルーザー叔父の事も高松は慕っていい、でも心に対してでも体に対しでもないけれど、高松には越えられない壁があるのをグンマは知っていると思います。グンマは、何でもできるはずの高松が、「グンマ様の家族」と「グンマ様の家族ではない自分」という一線を越えられないで、一人悲しんでいるのを見たと思うので。
そんな高松に、完璧な笑顔で「こっちへおいで高松」と言えるのが覇王なんでしょう。ヴェルサイユ宮殿ではないですが、卑しい者と尊い者ってあるので。高松がそんなマジックの様な笑みをたたえたグンマに対し、「バカにしないで欲しいですね」と言えるのか、大喜びで跳んでくるのかは不明・・・ではなくて、「バカにしないで欲しい」と言いつつ、跳んできそうです、高松。
そう思うと、ある意味傍流のキンちゃんの方が自由に高松と付き合えるのかもしれません。すっかりシンタローの補佐官としての仕事も、科学者としての仕事もこなすキンちゃんなので、もう家庭教師的な高松の存在は卒業したと思いますが、それでも。
あの高松が、グンマとキンタローを同時に愛しているというのにPAPUWAを読んで驚きましたが、案外どちらかというとキンちゃんの方が本命なんじゃないかなと思っています。成人してマジック譲りの貫録を見せだしたグンマも魅力的ですが、いつまでも若い恋が出来るのはキンちゃんかなと。
PAPUWA終了後、キンちゃんと高松が「また隠居する、しない」でもめたら可愛いなあと。グンマの一見優しいふるまいは彼らしくていいなと思いますが、高松なので男らしい強引さを突き付けてくれるキンちゃんも好みだろうなと思います。(パプワ以外はアレという公式発言フル活用。) |
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