春コミに出そうと思う原稿、厚くて読みにくくなるのは避けようと小説・漫画で30ページにしようと思います。丁度あれこれ描いていましたらそれくらいのページになりました。ほとんど全ページ高松が出ています。キンちゃんも出てないページは僅かです。
グンマについては何か月か考えたんですが、手が出ない何かを感じました。グンマなしの高松ってあるのかなと模索したんですが。グンマって。
■思考回路に育ての親の高松のえげつなさと、青の一族全般の強引さと、マジックの他人に有無を言わせない部分を持っている。 ■家族思いなのがグンマの偉い所だけど、無意識にグンマは自分の周囲に「自分を守ってくれる男」を集めている気がする。グンマの中では過去「高松が僕を守ってくれる」、現在「家族が僕を守ってくれる」という無意識があるのでは。お得な性格なのか。 ■「僕を守って!」「僕の言う事聞いて!」オーラがアニメでも漫画でも半端ない。ハレの強引さは突っぱねられるかもしれないけど、グンマの場合誰に似たのか巧妙。
■全然悪いことじゃないし、アクの強い高松及び血縁はグンマを小馬鹿にしてみたり、守ってみたりすることに快感を覚える傾向があるのでいいんだけど。 ■自分の思う高松は、グンマやキンタローを復活したジャンの無計画な裏切りにから守ろうとしているか、ルーザーのいない孤独に耐えようと足掻いているので、グンマを可愛がる余裕に乏しい。 ■別にルーザー様に短気な所は似ているのに、少し単純で優しい所は自身の個性なんだろうなというキンちゃんなら、精神的に高松を支えられるだろうなあと思ったことは、自分の中のグンマに影響していないはず。(ルザ様は複雑で短気、キンちゃんは単純で短気。)
パプワの南国アニメを見ていましたら、シンタローがセーラームーンの「月の代わってお仕置きよ」のポーズをしていて驚きました。一目で分る自分もどうかと思いましたが、当時土曜日はセーラームーンを見て、パプワくんを見るという時期があった気がします。その後、パプワくんの時間帯がスラムダンクになって、何故かセーラームーンにも大人の香りが忍び寄って来た気がします。
(※パプワ南国アニメは一年間。93年10月終了。セーラームーンで言うと、無印の中盤〜Rの前半が終わったあたり。もっと続いてほしかったとは思っていない。むしろ振り返れば泣けるほど頑張ったアニメだと思っている。アニメの頑張り?で話が延長して、高松の贖罪が発覚したり、グンマと仲良しな面白いおじさんだけじゃなくなってしまった事は考えない。)
パプワも女性が描いた漫画ですが、基本、少女ものの方が何かとキャラ同士のハードルが低い気がします。バトル要素が強い漫画だと、どうしてもパワーインフレについていけないキャラが続出しますが、少女ものだと日常重視、「気持ち」重視な面がある気がして、時々見たくなります。
(セーラームーンで一番好きな回は、無印でなるちゃんがネフライトをかばった回。セーラー戦士達の前では無力なはずの、一般人のなるちゃんが幻の銀水晶に匹敵する奇跡を起こした回。なるちゃんをだましていたことを詫びるネフライトに「ついていい嘘もあるのよ」と言うなるちゃんに泣いた。
もしセーラームーンがバトル重視のパワーインフレ作品だったら、なるちゃんの様な一般の少女の見せ場はないと思う。ウラヌス・ネプチューンが出るとマーズ達の見せ場がないという事は起こるけど。R以降でもこういう、ささやかな奇跡が時々起きる。少女ものの強み。) |
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