高松が女性だったらと考えていましたら、90年代アニメ・漫画の女性幹部達を思い出しました。雑駁な記憶ですみませんが、当時は「元気な女の子」がアニメや漫画に躍り出て来た最初の時代で、一昔前の「男の子を応援する女の子」が一線を退き、セーラームーンに代表される様な、「好きな男の子を守ってみせる」様なかっこいいヒロインが出だした頃でした。
かっこいいヒロインが戦う相手は、ごつい男性プロレスラー等では絵になりにくいか、「人外」か「悪の女性戦闘員」だったりします。ヒロインの優しさに「人外」がホロリとしたり、社会に出て結構な年月が流れただろう女性が、女子中学生に追い詰められたりします。
今イメージしているのは、セーラームーンRのエスメロード、魔法騎士レイアースのアルシオーネです。「美貌・頭脳・戦闘力・組織内での地位」があるにも関わらず、周囲を傷つけてまで「片思いしている上司」のためにボロボロになりながら、一回り以上年下の女の子達と戦い、「貴方は本当の愛を知らない、間違っているわ」とかヒロインに言われながら、敗北を喫する大人の女性達。
子供にそんな事言われたくない、これが私の愛の形と口に出したり出さなかったりしながら、結局子供にボロ負けしてアジトに帰還すると、片思いしている上司は別の女性を愛していたり、「無能な者は失せろ」とか言い放ったり。なんでこんなに90年代のアニメは一定の世代の女性にきついのか。
可愛い女子中学生と、彼女達を産んで彼女達の父親に愛される母親達しか、幸せな愛が育めないとでも。この問いは次世代アニメのウテナで追求されます。暁夫という現実の男性に傷つけられたウテナとアンシーの手を取り合って学園の表に出ていく姿が、典型的な男女カップルの誕生で終わるアニメ・漫画の最終回へのアンチテーゼになっています。ただしウテナの世界が独自過ぎるので、セーラームーンの巨大な世界の圧迫感に対応し切れているとは言えません。
高松は男性ですが、パプワ世界での立場はかなり不安定です。青の一族の血さえ流れていればニートでも堂々と生きているでしょうし、一般のガンマ団員ならガンマ団の権力構造から言って下っ端達が悩む事もそんなにないはずです。高松の場合、下っ端でもなく青の一族の一員でもないので、仕事と責任と立場はあれど、自転車操業的な負担を自分に課して初めて立っていられるような不安定さ。(転職するにせよ手放すくらいならマジックは殺害しそう。なので隠居はフェイクで実際はキンちゃんの家庭教師だと思う。)
元来気儘な人でもあるので、自分が潰されそうな立場なんて逃げようと思えば逃げられるのかもしれません。でも、そういう圧迫感・切迫感・重圧感・焦燥感の下でしか亡きルーザー様と意識がシンクロさせられないから、高松はガンマ団にずっといるでしょう。他の方法でルーザー様を感じられる方法があれば別ですが。
(チャンネル5でのジャンへの復讐も、彼個人の憤怒というより故ルーザー様をこんなに愛していたんだと自分で自分に見せるためじゃないかと思う。だってジャン個人になんて高松は全然興味ないんだし。)
もし高松が女性だったらもっと幸せだったのかなと思いましたが、どうなんでしょう。案外実家香川で地域住民に頼られる女医さんとして暮らしていたのかも。でも知的興奮を求めて何か危ない事をしでかしそう。女医さんとしてガンマ団に関わってルーザー様と出会ったら、多分恋に落ちても何も高松はしないと思います。高松は男性でも女性でも、自分が傷つかない様に振る舞う小利口さはあれど、何かが足りません。
足りないからこそ、ルーザー様が生きておいでだったらルーザー様に。劇中の通りキンちゃんが高松の側にいてくれるのならキンちゃんに。高松を幸せにして欲しいです。(高松なので気安く「私は幸せですよ」と言うと思う。グンマは「よかったね」とスルーしそう。「とてもそんな顔に見えないな」と言ってくれそうなのは、ルーザー様とキンちゃんかなと。) |
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