鉄オタの寝言として。JR四国は、何故四国の玄関口だった讃岐鉄道が山陽鉄道に買収された経緯があるのにも関わらず、国鉄分社後JR西日本の一部にならなかったのか。高松駅が国鉄の駅になった経緯も、讃岐鉄道単独で「全国区」の路線と認知されていたからじゃなくて、山陽本線を持っていた山陽鉄道の一部だったから、「全国区」になったと思うんですが。
未だにJR四国が四国全体へ奉仕よりも、高松周辺及び中国地方優先になりがちなのはその名残かもしれません。でも幹線を持つ山陽鉄道に買収される前から、高松にまるで梅田駅の様なホームを作ったあたり、この会社の高松溺愛ぶりは目を見張るものがありました。(伊達に金比羅様は交通の神様じゃないのか)
10年同人活動、二次創作をしています。どのジャンルでもほぼ開口一番に「そんな考え初めて聞きました」と言われました。普通に学校に行ったり、人と話したり、職場に行っていても同じ事を言われ続けているので、ショックと言えばショックなんですがもう慣れました。自分の力が弱すぎて、また馬鹿過ぎて変な目で見られるのなら受け入れますし、単にベクトルの違いなら、やっぱり受け入れるよりないんです。
ただ言えるのは、既存の何かとじゃ自分はやっていけないのだなと言う事です。長い長い時間をかけて作られ、愛されてきた何かを、自分の中で一度壊して仕舞わないと収まらないらしいです。壊して、細胞一個一個まで自分の目で見て愛せる様になるのなら、それもいいなと思います。
誰でしょう、愛するものを切り刻めと言ったのは。私は高松とキンちゃん、ルザ様を切り刻み出しました。
(物理的に切るんじゃなくて、一呼吸一呼吸まで追い詰めて知り尽くしたい感じ。切った時点で別人になっちゃったら困るけど。でもキンちゃんとルザ様って高松の頭の中じゃ、ぐちゃぐちゃに混じっていそう。ボケてもいないのに、キンちゃんを「ある時」にルーザー様って呼んで赤くなっていそう。平然と「何だ高松」って言ってくれるキンちゃん。キンちゃんも嫌じゃない感じ。声はパパと高松の方が近いのに。)
フィルター無しで高松を見ると、「一般人に等しい存在なのに身の程を忘れて恋か何かで秘石の謎に首を突っ込んでしまい、頭が妙に回るために解説役なんかになったりして、恋の相手もとてもじゃないけど自分を守ってくれる様なタイプでなく、大した見返りもなく傷つくだけのキャラ」だと思うんですが。
そういう塗炭の苦しみの中にいる高松こそ、高松でしょう。あの髪自毛かどうか疑うくらいのハイストレスの中。(未だに近藤イサミより一回り年齢が上なのが信じがたい。肌ツヤツヤじゃないか高松。)
そう思いつつ。「でもキンちゃんは高松大好きだからちょっとやそっとの事くらいからなら、キンちゃん高松守ってくれるよね」「ルザ様だって愛の表現が拙すぎるお人だっただけで、高松のために子供残してくれたじゃない」とも思うのは、思想・良心の自由でしょうか。
(日本国憲法第19条より。こんな際に持ち出す条文じゃないけど。あとあくまで内心での自由なので、表現した場合は規制がかかる場合がある。オタクの寝言とは言え、憲法上には明かな位置づけがある。) |
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