原稿を書いています。昔別ジャンルで本の内容に繰り返しやごり押しが増えて厚くなってしまった時は、「普段描いているキャラ以外を出そう」という試みでしたが、どうもパプワの場合は特定のキャラだけで長くなっています。高松とキンちゃん、ルザ様だけなら物理的にそんなに長くならないはずですが、この3科学者にしぼってもまだ書き切りません。
PAPUWA終焉〜アラシヤマ番外編の10年間って、まだ描いてません。南国〜PAPUWAまでは何回か描いてます。高松なので南国スタート以前の要素もありますし。チャンネル5の要素も好ましいですが多分辛くて書けないと思います。
30代のキンちゃんと、50代の高松が描きたいです。キンちゃんは生まれてこのかたターニングポイントの連続の様な子ですが、どういわゆるアラサーを迎えるのかなと。彼はPAPUWAで密かに若さをアピールしていますが、33歳時の高松(※ファンブック)と47歳時の高松の不動の若さを思うと、「年齢」という観点からジタバタしないで欲しいものです。
(酒のつまみ高松に作ってもらって種類と量と時間帯まで見ててもらえばキンちゃんは体調を崩したり太ったりしない思うが、二次元なのでそんな事もないのか。例ミサト。放っておくと強い酒と濃そうなツマミばかり食べそうな気がする。グンマの付き合いで菓子までつまむともっと大変な事に。お前もタバコ控えろともめそう。)
高松なんてグンマと言う生きる物差しが側にいますし。「この子がこんなに大きくなったのですから、自分もナイスミドルになるわけです」という余裕そのもの。取りあえず恐らく五十路以降は流石に裸ジャケットやめたらしいですが。あと総帥の眼魔砲以上の兵器の存在が認められないだろうガンマ団における高松の科学力って鬱屈しそうと、唐突に思いました。道理でしゃべる根菜に命がけになるわけだ。
NHKアニメヤダモンを最終回まで見ました。当時はコツコツ一話づつ学校から早く帰ってきて見るしかなかったので、大人オタクになってよかったです。当時も授業が終わって部活動が始まる頃の時間に、「今帰ればヤダモンが見られる」とか口に出す結構な子供でしたが。
ヤダモンはヤダモン個人のお話というより、最後は魔女という種族についての話になります。ファンタジー要素として「魔女」「妖精」がヤダモンに出てきますが、万能の存在でも、人間に奉仕する存在でもなく、単独の種族である事が特徴だと思います。よくある魔女っ娘の「魔法は人間のため」というのではなくて、人間が科学を求める様に、魔女に魔法があるのだというスタンスです。
なので劇中の科学者達、マリア、エディ、ウィリアム、技師としてのエンリコはヤダモン達の魔法に屈服するでも反発するでもなく、「科学は人間の起こす魔法」という描かれ方です。ヤダモンはエンリコの作ったおもちゃも、エディのカヌーも好きですし。普通魔法使いと科学者なら、劇中でどちらかが優勢に描かれそうなものですが最後まで対等な関係でした。ウィリアムおじいちゃんが素敵過ぎます。
魔法は何が出来るのかというと、人間が自動車を作ったり運転したりするくらいの機能に該当します。一応ファンタジーなので魔女の世界には魔女の世界のしきたり等あるのですが、魔女が魔法を会得するのはまさしく普通免許を得る様なニーズだったと思います。マリアが家電で家事をしたり、エディが動物達を世話するのと同じ感覚で、彼女達には「魔法」があります。
キラが魔法でドーナツを出す場面があるのですが、美味しくないそうです。見かけはマリアが作ったドーナツなのだけど、エディが食べても「失敗したのかい」と言うくらいなので、ドーナツの味と形でもマリアの手作りには叶わないそうです。キラは強大な魔女なのにと思いますが、この作品のテーマの一つでした。「魔法も科学も愛がなければただの脅威・暴力になり得る」というテーマの。
キラにもキラなりの他者への愛情があったそうです。何も手を打たなければ魔女は種族として滅ぶ存在だから、闇の強化という危険で余り人から好かれない方法を彼女は推し進めようとします。でも誰もキラに賛同しませんでした。旧友の女王、師であるべリアルに賛意を得られないのにそれでも突破しようとした彼女は、やっぱり嫌いになれません。女王が自分は種族の滅びについて何もしていなかったと反省していますが、女王の場合はヤダモンを生んだ事をもっと誇っていいのでは。
ヤダモンも「魔女っ娘だけど媚びない」「生まれながらの魔女っ娘だけど、人間の起こす科学という魔法も楽しむ」「魔法を自分の欲望だけで発動する事がある」等、珍しい子だったと思います。キラに手を貸した事はミスだったと思いますが、ヤダモンの場合、親から「あの子と遊んじゃいけません」と言われて逆に友達をかばいたくなるくらいの衝動だったのでしょう。ただヤダモンの生来抱える力や立場上の問題が大き過ぎて、難し過ぎて、ああなったのかなと。
|
|