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...... 2013年06月16日 の日記 ......
■ 谷崎   [ NO. 2013061601-1 ]
夏の新刊に入れられないで、恐らく冬かスパーク狙いなんだろうなという高松小説を書いていました。夏大阪発刊の方を仕上げてから書けばいいものの、書かないとおかしくなりそうでした。書けば書いたで、ルザ様が生きておいでだったらこんな感じという内容なので、自家栽培の根菜の様な感じです。動き出しませんし、人工知能も持っていませんが(高松の根菜は恐らく会話できるくらいお利口なんだろうなあ)

高松とくれば、同世代にサービスとハーレムがいます。友人である彼等ですが、なかなか書けません。ハーレムはいいやつですし、サービスも南国アニメでドキッとした思い出があります。(ハレはルザ高、キン高の貴重な突っ込み役。出す度にそんな扱いですまなくて出せない)

サビに関しては南国アニメは南国アニメ、恋に溺れる姿はまた別のサビだと思っています。たった一点サビに突っ込んでいいのなら、何故早めにシンタローに「高松は友人」と言ってくれなかったのか。高松の養護教諭としての諸々を思えば、今更「友人」だとサビが言っても、シンタロー総帥が高松に能力に見合った評価を下すとは思えませんが。

南国アニメでは一回も気にならなかった点、「シンタローがサビを尊敬している」という点が妙に引っかかります。南国アニメでは傍若無人な兄の比較的近くにいて、冷静にガンマ団を見ているという立ち位置だったと思います。父の強大さにすくみがちなシンタローが、サビに敬愛の情を抱いたとしても自然です。

ですが南国とPAPUWAを全部読んでしまうと、昔は父や兄、近年は甥達と旧友、それに「恋人」の稼ぎに依存してリッチな生活を送る姿の方が印象に残ってしまいます。サビの周囲でその辺に突っ込む人は皆無ですが、働かないサビはシンタローの崇拝の対象であり続けて、サボりがちでもキンタロー様のためなら奇跡でも何でも起こす高松がシンタロー総帥の眼中にないって・・・うん、ないな。ない。

サビとシンタローの距離、高松とシンタローの距離は現在のものが適切なのかもしれません。キンちゃんももう大きくなりましたし、いざとなれば「高松は俺が個人で雇うから構わないでくれ」と新総帥に言えるでしょう。(組織的にそんな雇用ないけど、高松は俺に任せてくれくらいで。)




大学生の頃、なぜか身近に谷崎の「蓼食う虫」があって読んでいました。シュールな挿絵と、昔なら「子供がいるのだからこの夫婦だって関係を持ち直すはず」と思ったのですが小説はそんな事もなく、話は広がり、主人公の要は心と体が別々のものを求めていきます。

谷崎は漱石の「門」に違和感があったそうです。「それから」で悲劇的な恋をした代助と三千代のその後の姿と言われている宗助とお米が子供に恵まれないで悩んでいるからだそうです。確かにお米は三度妊娠して、三度流産しています。夫婦仲が悪くなかったという事と、経済的問題、周囲の協力が期待できない中での出産だったから故の事ですが、谷崎なら突っ込むでしょう。

なら谷崎は幸福な人達ばかり書いているのかというと、そうでもありません。むしろ深過ぎる悩みをあえて書かないで、表面の描写だけで事柄を書き進めるので、お米の様な悲しみを直接的に書く事が少ないのでしょう。漱石も悲しい人の辛い部分ばかり書いているかとそうでもないです。むしろ辛い人の、一瞬の安らぎを描き出す事に全精力傾けている気がします。

今読んでいる本は、国文学者の男性が書いた谷崎の評伝です。薄めでも情報量が多いので、あれよあれよという間に谷崎の全てが分かった気がします。ですが直前に実際谷崎の秘書を勤めていた女性の手記を読んでいますので、幸い評伝が全部じゃないと思えます。男性が語る谷崎の人生と作品と、女性が語る晩年の谷崎の様子では違うものになるのは仕方ないですが、評伝の方はビシバシ書いているなと思います。

漱石の評伝って実はあんまり読みません。作品を思い出せば大体の執筆時期が想像できますし、漱石自身の鏡子夫人を困らせた部分をそんなに詳しく見るのは気が進みません。

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