■「謎解きはディナーの後で 2」を読んでいます。ドラマは見ていませんでしたが面白いです。人物達も面白いですが地の文の畳み掛け具合が好きです。 ■谷崎を何作か読んで、文章で表現するのは難しいなと思いました。谷崎を評する文章を読んで、「マゾヒズムは客観的には描きにくいものだから、主観的な小説に仕上げている」という内容のがあって納得しました。「痴人の愛」だと譲治の生活が彼以外の視点から描かれていたらどうなっていたんでしょう。多くの小説は大抵一人称か三人称で書かれていますが、趣味で書いていても悩みます。例えばこんな感じで。
■三人称だと 「高松は今朝方グンマとキンタローが生活する部屋に一日の予定を届けに行ったが、スケジュールが書かれた紙をキンタローが受け取っただけで、グンマは高松に顔を見せなかった。」 ■一人称だと 「私は今朝方グンマ様とキンタロー様のお部屋に本日の御予定をお届けに上がりましたが、キンタロー様だけがお顔を出され、グンマ様は奥にいらっしゃったようでした。御目覚めになっていらっしゃるのならよろしいのですが、もうお起きにならないと到底スケジュール通りには参りません。グンマ様は甘い物を召し上がり過ぎない様にと口を酸っぱくして申し上げてもお聞きにならず、お勉強は基礎的なものをまんべんなくと指導しても叶わず、今日まで来た方です。私如きに御一族のお世話を任されたこと自体奇跡なので、今日はもう御準備が出来ているらしいキンタロー様お一人だけ連れて、研修に参りましょうか。予習を済まされておいでなのですね素晴らしいです、キンタロー様。おやおや私とキンタロー様のお話を耳にされてか眠そうなご様子で起きられるグンマ様の気配がしますが、二度寝なさる様です。」
■一人称の場合長くなりがちで、語っている本人に都合の悪い事は書かれないだろうし、語り手が知り得ない事も書かれないはずです。高松の場合も、高松にとって都合の悪い事は三人称でないと書けません。他サークル様やプロの小説は登場人物達が生き生きと動く様が面白い時もあれば、地の文がしっかりしていて惚れ惚れする時もあります。
■谷崎は生き生きした人物達の動きが書け、地の文の端麗さも兼ね備えた人ですが、「蘆刈」を読むとイラッとするくらいあり得ない「語り」なので戸惑います。お遊さんにしろその妹にしろ、男=谷崎の願望のまま動いている様な気がして、読んでいて悲しくなりました。普通の結婚生活に幸福を見出さないのが谷崎の一面で、でも独身でいるのは寂しいのか望まない結婚を登場人物達はし、必然的に不倫・浮気・不貞を繰り返すのが何とも。
■谷崎は荷風の独身貴族でシンプルな生活を認めたくなかったのか、荷風の実力については触れていても、荷風の作品が持つある種の「不健全さ」には距離をおいていたと思います。でも読んでみると荷風の書く女性の方が、谷崎の書くあり得ない女性達よりも好感が持てる気がします。
グンマ雑感です。独断と偏見です。
■キンちゃんはいつ、自分がグンマにとって友人や家族といった想定内のポジションであるのではなく、「何でも・いつでも甘えられた高松の代わり」である事に気が付いたんでしょう。同い年で同じ青の一族同士というとサビ・ハレがありますが、ハレの気持ちが少しだけ分かったキンちゃん。ハレ=義務教育後入隊し幹部へ、サビ=専門学校を卒業後ニート。
■サビがグンマにきついのは、立場がかぶるからかもしれません。「兄達に大切にされる可愛い箱入り末弟」のサビ、「働き者で男らしい従兄弟達に保護される子」のグンマ。サビとグンマは性格の違いはありますが、周囲に甘えるという点において先輩のサビにすると、皆の愛がグンマに集中しては面白くないのかも。早めに特戦に入隊したコタは正しかった。
■高松を順調に隠居へ導いた後、堂々と自分に甘えてくるグンマを見て、何か納得したキンちゃん。高松が自分と父への思い故に嬰児だったグンマにした事を思えば、グンマの高松を遠ざける気持ちは分からないでもないけど、グンマ自身は高松が四六時中甘やかしていた頃と何も変わらないのだと知ったでしょう。好みの人が「甘えさせてくれる人」って。
キンちゃんとしても亡くなった父の様にガンマ団を支え、高松がしていた様に団員や一族のサポートに入る事に意欲的だとしても、たまに高松の隠居先に行って愚痴りたいかも。高松なのでそういう愚痴は聞いてくれても、キンちゃんに仕事上での進展や実績を期待してもいるので、休みつつ働くキンタロー様。高松の膝枕が大好き。夏は学会がてら落ち合って一緒に保養していそう。従業員の口が堅く、リラックスできる「隠れ家」を複数知っていそうなドクター。 |
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