以下は妄想です。
■マジック・イツワリノウタヒメ仮説について(マジックがアイドル活動のかたわら旧態依然の仕事もしているんじゃないかという仮説)。PAPUWAでのサッカーの試合の時に、ティラミスが「貴方方の動きは押さえている」と言っていたので、仮説じゃない気がしてきました。サッカーの試合は息抜きかなと思って読んでいましたが、新生ガンマ団とマジックの関係そのものの様な気がします。
生まれて初めてサッカーにいそしむ可愛らしいキンちゃんは、新生ガンマ団の看板であって、失敗しても負けても笑われてもいいけど、(シンタロー一人のために、つまりバカ親のマジックのために)汚れてはいけない存在なのでは。同い年ながらミヤギ達は汚い仕事でも、グラビア的な活動でも何でも出来るから、シンタローの直近でも、マジックの子飼いでも彼等自身はどっちでもいいのではと思います。
(つまりシンタローの理想とミヤギ達の動きはリンクしていない。ミヤギ達はシンタローの「直近」であっても「同志」ではない。シンタローが自身の潔癖な理想を実現させたいのなら、マジックが育てた組織・団員等から離れないと無理なのに。シンタローはミヤギやアラシヤマが生まれ変わったとでも思っているんだろうか。)
キンちゃんに求められているのは「(シンタローのために、つまりマジックのエゴのために)頑張る事」であって、ガンマ団の根幹は旧態通りでしょうし、キンちゃんはシンタロー程マジック・ハレ・高松にこだわっていないと思います。ハレの持ち逃げした三億円なんて、ガンマ団全体の軍事費を思えば煙草銭くらいなものですし、ハレは依然として兄に従っているのでしょう。隠居したはずの高松もあっさり前線復帰、しかもシンタロー総帥のお気に入りのキンタロー様の側にいます。
キンちゃんが「自分はシンタローの理想を形にするべく働かなければいけないが、その理想と言うのが全くの小説的な砂上楼閣で、南海の孤島にでも流れ着かないと叶えられない様なものだから、とりあえず職場が潰れない様に、シンタローは嫌いらしいが高松にも最初から協力してもらって「仕事」するよりない」と、意識下で思っているからなのでは。シンタローはキンタローを右腕の様に思っているかもしれないけど、そのキンちゃんのさらに右腕はシンタローの嫌いな人(人達)かも。
■ルザ様家、ルザ様がご存命であったらこんな家。 世帯主‐人見知り(外交的な兄のお蔭でここまで来た) 配偶者‐人嫌い(医者なので職業柄シビアな性格に) 長 男‐人慣れない(育ちが良過ぎて無垢な子に) 兄の子‐人たらし(個性的な肉親にもまれた結果)
どうやって家庭が回るのか謎ですが、取りあえず高松が人嫌いの偏屈でも、「ルーザー様とキンタロー様のためです」と大抵の事は逃げないで取り組むので、なんとかなるんでしょう。厳しい実父についていけなくて、従弟のキンちゃんの家に転がり込みがちなグンマがどう育つのかも謎ですが、キンちゃんとはいい友達になっていたんだろうなと思います。でもなんか叔父さんの家の独特の仲の良さが悔しいので、グンマは、キンちゃんの部屋におやつ持ってきてくれたり、宿題を見てくれる高松に、「貴方は秘石眼じゃないんだね」と軽い皮肉を言うかもしれません。
(ちょっと傷つく高松と、グンマに怒ってはいけないと高松から言われるキンちゃん。お父様は何も言わないけど、高松の黒い瞳、黒い髪と、科学に親しむ所、息子を暴力(秘石眼含む)で導かない所が大好き。)
今読んでいるのが漱石の「吾輩は猫である」なんですが、もう随分昔から読んでいます。明治期の小説だなんて思えないくらい身近な本です。にしても初めて読んだ頃から自分は「学者肌の偏屈なおっさん」がタイプだった様です。三つ子の魂でしょう。
「猫」を初めて読んだ頃、今閲覧制限でニュースになっている漫画を読みました。ニュースだと、「問題として挙げられるのはわずかなコマであり、全体を通してみれば主義主張のある作品」と言われています。自分もそう思いますが、完読してしまった後の読後感は今でも思い出せます。いまここで呑気に生活をしている自分の方がウソ、デタラメで、真実の世界はあの漫画の中にある苦しみの方なんじゃないかと、小学校高学年の頃悩みました。当時も歴史教育の一環でご高齢者に当時の事を聞こうという機会がありましたが、「お前達は幸せ過ぎる」という近所のご高齢者の言葉が思い出されます。
一応歴史学科出身の人間なので(※古代東洋史)、「過去があって現在がある」という事は理解しているつもりですが、近現代史、特に自分の国ながら日本を直視するのは難しいです。 |
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