南国での一回目のシンタローの死って物語的に必要だったんでしょうか。アラシヤマが誠実でいい奴だなと思ったくだりですが。まだあの頃はギャグ漫画だったので「死」と言ってもライトな扱いでした。ジャンとシンタローが1人になって赤の一族対マジック等の青の一族のバトルを始めるつもりだったとしても、ギャグ漫画として最終回をまとめるのは至難だったでしょう。
ギャグ漫画の最終回って凝っているものが多いですし、一般的にはいいギャグを編み出す作者程、良識と常識に富んでいるとも聞きます。南国は鬱展開になるしかなかったと思いますが、鬱展開の極みがギャグの欠片もないルザ様と、キンちゃんと思うとなんだかなあと思います。単品ならギャグキャラでぶっちぎれそうな高松の、最愛の人達なのに。
案外、素のルザ様って面白い方だったんじゃないかなと思っています。怖い先輩の、意外と可愛いところとか見ちゃった若い頃の高松とかいいなと思います。ルザ様も、強引でえげつない後輩の妙に健気な所を知っていたと思います。お互い「こいつ面白い」と思っていそう。
南国&PAPUWAの原作者の価値観について考えていました。風聞的なものが多いのですが、風聞の中でも納得出来るものや、劇中で思い当たる節があるものもありました。
価値観として原作者には順位が低いらしいもの ■好きな人がいるという事自体そのもの ■好きな人に好きと言える勇気 ■好きな人に尽くそうとする健気さ ■好きな人と一緒にいたいと思う気持ち ■好きな人のために自分を変えたい気持ち ■労働全般 ■努力全般 ■女性一般(え?) ■人懐っこさ ■少年漫画だけどバトル ■意思疎通 ■料理でも移動でも「過程」全般
価値観として原作者には順位が高いらしいもの ■「濡れ手に粟」な人生 ■若さ ■財産 ■顔 ■身長 ■ストーカーや奴隷を所有すること ■慕ってくれる人をシカトすること ■一方的だが自分の要求が通る環境 ■インスタント的な実績 ■暇な時間 ■生まれながらの地位・名声 ■自分から特に頑張らなくとも、周囲が己の一挙手一投足に価値を見出してくれる環境 ■自分を盲目的に愛する「男性」
もしこれに近い価値観で南国&PAPUWAが描かれたのなら、アラシヤマや高松の地位って、原作者の中ではミジンコくらいだったんだなあと思います。好きな人のために頑張るって最高じゃないと自分は思いますが。後者の方の価値観は思いっきりHEROのサクラです。
今更ですが高松の扱いについて。
大別すれば高松も、南国&PAPUWAでお馴染みの、「好みの相手に突進し眼魔砲撃たれる」キャラでいいと思います。ですが高松の場合元々の性格がひどく、総帥の息子が不慮の事故で死んだ時に一人騒ぎ出し、眼魔砲3発食らったくらいで、愛するキン・グンに手を上げられた事はなかったと思います。高松に突っ込もうとするキャラって南国のシンタローくらいだった気が。
(シンタローの死=本当のルザ様の息子の誕生なので、高松が浮かれてたのは分かるけど、仮にも四十路の医者なので我慢した方が高松の身のためだった。)
高松は劇中では珍しい相思相愛キャラなのかというと、原作者がそんな事を許すはずないと思います。高松はギャグでなく愛する人に大怪我させられた人でもあるので、やっぱり大別すれば、「好みの相手に突進し眼魔砲撃たれる」キャラなんでしょうか。原作者は医者=胡散臭いとか思っていそうなので、根底から作中における価値観を洗い出さないと真相はよく分りません。
高松の思いはギャグでありギャグでありません。恐らく原作者が高松にそんなに関心が無く、登場させたっきり書き込みを放置したせいで、一番純粋できれいな「思い」が、いつまでもキャラの中に保存されているキャラだと思います。
キンちゃんは高松にイラッとした時は素直に言いそうです。「子供扱いするな」とか。ルザ様も高松に言葉や態度で八つ当たりする事は多々あっただろうけど、眼魔砲は撃たなかったと思います。高松を知り尽くしたルザ様ですから、身体的には一般人そのものの高松が自分の眼魔砲を浴びたらどうなるのか、分かっていたでしょう。キンちゃんもそこは同じじゃないかなと。(青の一族が我を通さないで相手に合わせるなんてなんて相思相愛っぽいんだ) |
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