■今更ですがマクロスFのミュージッククリップを見て、ドラマCDを聞きました。ミュージッククリップの方は射手座の扱いが残念でしたがダイクレとノーザンクロスが素敵でした。ドラマCDはひたすら笑えました。モニカの「男はおっさん」説に同意します。本編でもこんなミシェル達が見たかったと思うくらい楽しいドラマCDでした。ミュージッククリップもドラマCDも、ランカ主体みたいで流石公式と思わせます。(自分はシェリル厨だと思う。絶望を背景にして歌う彼女がこう、悲恋のタレ目医者みたいで。禁断のエリクシアは歌も絵も良すぎる。ただ歌詞が過激。でも原稿中大体聞いている。)
■南国6〜7巻は神がかっているなと思います。テレビアニメを愛した人には目が点の展開ですが、テレビアニメを見つつ「マジック様に従いたい」「この鼻血のおっさんいい」と思った自分には美味しいです(※子供の自分からおっさん萌えしていた事を認める)。そして全体的にキザです。マジックや高松のキザぶりは地ですが、PAPUWAのハレを知ってしまうと「ハレが頑張っている」と思います。
■南国終盤って自分の妄想の舞台としてはともかく。 ■あの項数で何回読んでも分からないシンタローの「本当のあり方(赤なん青なん?、あとガンマ団嫌いやろあんた)」 ■他愛ない脇役でよかった高グンのわざわざの「崩壊」 ■脳内を通り越してどんどん本筋に噛んでくるジャンサビと、ジャンサビに高松が圧迫されている事の露呈。 ■マジック様の価値観がシンタロー>世界>虚栄>コタ
■出ても出なくても物語の本筋には関係なかったはずのルーザー様の登場と、何故かシンタローにすら(母がいないから)発生し得ないエディプスコンプレックスを起こしたキンちゃん。(何故か事実上の父子対決が、主人公のシンタローからキンちゃんに譲られた。主人公の精神的成長のきっかけは霧散したらしい。キンちゃんはシンタローの代わりの様に父殺しの罪を負ったわけだが、その分キンちゃんは父や母との結びつきが濃い。)
「神がかっている」と言うより、試練(?)を通過した者にだけ見える何かが南国終盤にある気がします。
■それにしても。ハレが生まれたばかりの甥、怪我した甥にかける言葉のキザさ。「男は女より〜」「手負いの獣は〜」は言葉としてはいいですが、キンちゃんが聞きたかったの違う言葉だと思います。「手負いの獣は手強い」とハレは言いますが、最強は「子連れの獣」です。手負いの獣は自分を守るために荒くなりますが、お母さんクマの荒さは「子供のため」なので無双です。
■冬コミに受かったらそんな本が描きたいです。スパークはスパークで項数がギッシリになってしまいました。6巻のキンちゃんの「俺のために」から、高松の「年とると耳まで遠くなって」までのキンちゃんと高松の話。高松はグンマと暮らしていた頃は、気持ちが「ルーザー様への思い」に閉じこもっていたと思いますが、キンちゃんを前にすると、本当の「子連れの獣」になったんだろうなと思います。
(ルザ高も大好きなのだけど、「子連れの高松」の旨味が捨てられないので、何度ルザ高に挑んでも、パラレル気味のルザ高+キンタロー坊ちゃまになる。ルーザー様は高松と学生気分のままもう少しいたかったかもしれないけど、長男が生まれたのはせっかちな貴方のせいだ。)
■キンちゃんの泣いている高松に「俺のため」と言う姿に青の一族っぽさを感じます。知らないおっさんが感情たっぷりに近寄ってきたら普通警戒しませんか。劇中の高松との出会いの前に、シンタローに喧嘩売った時の怪我をハレが高松呼んで診させたと自分は仮定してみました。原稿にしてみるとハレの紹介があっても、素敵な笑顔で近づいてくる高松は怪しいセールスマンの様でした。
高松がキンちゃんにそんな客観的な態度なのは、高松が「ルーザー様の代わりに自分を好きになって欲しい」と思うより強く、「この子を憎いとはいえ伯父のマジック様や、従兄弟のシンタロー様グンマ様の下に帰さなければいけない」と思うからでしょう。グンマとなら2人で何年閉じこもっていても惜しくないけど、キンちゃんには表に出て行って、豊かな人生を味わって欲しかったのだと思います。
そんなんなので、キンちゃんに好かれると高松は戸惑いそうです。ホームドクター兼家庭教師兼先輩科学者としてキンちゃんを支える事には全力の高松でも、個人としてこの子に好かれるとは期待していなそうです。でもルーザー様もキンちゃんも高松大好き。 |
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