解決策のない話なんですが。 ■医療保険制度って日本のものは何とか分かると思うけど、海外のものはニュースを見ても実感がわきにくいです。そのうえ国籍も住所も謎なマジック達の生活は不明過ぎます。 ■小さいキンちゃんの幼児健診のために、地域の保健センターに保護者として行く高松ってありなんでしょうか。高松は6歳のコタの体を診たり、マジックやルーザー様の子供達が新生児だった時に側にいたくらいだから、産婦人科・小児科の覚えもあると思いますが。
■親族は男性のみ、男子校に通い、男しかいない職場の幹部への道を歩むだろうキンちゃんが普通に女性を見かけるチャンスって、幼児期の地域の健診くらいしかないなと。自分と同じくらいの子供達が若い「ママ」と一緒にいる姿を見れば、「高松」と自分とお父様の関係を見直す機会になるかもしれません(※パラレル)。 ■青の一族の「男性だけで乳児から子供を育てる」というのはムリがあります。体外受精の技術が昔はなかった事もそうですが(※多分作者が「人工授精」の意味を分かっていないだけだと思う)、「哺乳瓶」というものも近代になってからの発明です。彼等に「母」「乳母」がいないはずないんです。力説しても仕方ありませんが、「女性は一族に貢献しても目に入れない」という事でしょうか。嫌だなあ。
それなんで自分の本で地域の女性保健師さんに抱っこしてもらい、小さいキンちゃんに「女性に世話される」事を一回以上は経験させてみました。もう南国でもPAPUWAでもなんでもありません。
谷崎の「鮫人」を読んでいます。隣りの市の図書館の蔵書でして、貸出履歴を見ると昭和末期から誰も借りていません。有名な本だと思いますがどうしたんでしょう。谷崎というと春琴抄が一番読みやすいと思いますが谷崎の小説の一つの頂点なので、頂上に着くまでに頓挫された作品も読みたくなります。「鮫人」は未完で、読んでいるとこれは未完になるなと思えてきます。浅草で生活する人達の描きこみがすごくとも、谷崎は爛熟の場所から不意にいなくります。フランスの作家がパリを愛した様には、谷崎は浅草を愛していないと思います。
谷崎は東京に生まれ育ち、群馬県出身の女性と家庭を持ちますが、離婚し、西洋を好みだし、映画製作にはまり、そのうち京阪地域に惚れ、離婚と結婚を繰り返し、京阪に落ち着くのかと思いきや、最晩年の瘋癲老人日記の舞台は東京です。例えば漱石ならほとんどの小説の舞台は東京です。荷風もフランスやアメリカを舞台にした事もありますが、基本都内を舞台にしています。谷崎は何故か群馬の前橋を舞台にした小説を書いた事もありますが、いつもフラフラしている気がします。
谷崎は語学が出来ない訳ではないし、言葉使いも整っていますが、京都弁や大阪弁はしゃべれなかったはずです。細雪や卍、蓼食う虫には渾身の努力が必要だったでしょう。荷風の様に舞台を狭く決めてしまえばいいのにと思いますが、鮫人を読んでいると谷崎の彷徨は続くんだなと思います。
南国&PAPUWA雑感です。
■南国後高松はキンちゃんにかかりきりだったと思います。高松の思考の中心にキンちゃんがいたというだけで、彼が勤勉なのは変わりませんが。素直で呑み込みのいいキンちゃんですから、高松も張り合いがよかったでしょう。 ■技術面や学問の指導プラス、キンちゃんに必要なのは幹部としての心得です。団員が実力を発揮出来る様にしないといけません。シンタローが好き嫌いを隠さない男なので尚の事必要な面です。マジックも好き嫌いの激しい男でしたが、「才能」「実力」も好む男なので、高松とマジックの相性は悪くなかったと思います。
■好き嫌いというと、好めない相手に対する態度の方が問題になりがちですが、その辺は誰でも隠すところです。嫌なら可能な限り距離を置こうとするでしょう(例、南国後の高グン、チャンネル5の高松とジャン)。「好き」の方が気持ちがふくれ上がりやすいので、要注意かもしれません。 ■キンちゃんに「好きな相手の事ばかり見ていてたり、考えてはいけません」と教える高松って、真顔でしょうが矛盾しているなあと思います。性格の相性や、好き嫌いを越えなければいけない立場になったキンちゃんが、現在指導的立場の男に生まれる前から溺愛されている事実。
高松もえこひいきや感情の対立が仕事に与える影響の大きさをキンちゃんに教えつつ、苦笑したでしょう。ルーザー様とルーザー様の息子がいなければ、とっくに退団していたでしょうから。 |
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