■温泉に行きたくてたまりません。仕事帰りに寄れる範囲に源泉がいくつもあるんですが、田舎なので早めに閉まってしまう場所もあり、平日は疲れていて行けません。お湯も色々あって、「あの旅館のあの温度のあの時間帯の湯が最高」とか思い出してしまうと、さらに行きたくなります。
全然関係ないですが、南国&PAPUWAのグンマの名前はルーザー様の何かに由来するだろうと思うので、やっぱりキンタローの生みの母の出身地が群馬だったという事でしょうか。そういう妄想を糧にスパーク新刊で小説を書いてみました。
書いた事に後悔はしていませんが、高松は兎も角、ルーザー様は和風の温泉を思い浮かべられない気がしてきました。伊香保、草津と聞いてもキョトンとしていそう。高松だけ脊髄反射。高松が言い出さない限り、ルーザー様と群馬県の名湯その他は無縁です。高松は意外と受身の子なので言い出しますまい。ルーザー様は純粋な科学者なので、日本の群馬をサーチして「伊香保」その他にたどり着いた事にします。湯治でも有名ですし。
■高グンの始まりはなんだったんだろうなと思いました。高グンの崩壊は南国での高松の告白ですが、始まりは「グンマの媚び」だったろうと思います。乳児期は泣いただけでミルクやきれいなオムツが与えられましたが、大きくなれば自分だけの好みも機嫌の良しあしも出てきます。高松という神龍にお願いすれば、大抵のものが出てくる事を知った幼児グンマの勝利宣言が、高グンの始まりでしょう。高松が「あの男の子供だけど可愛い」と、不覚にも媚びてくるグンマに思った時が高グンのスタートではと思いました。
グンマにとって愛とは勝ち取るまでが全てで、たとえ家族愛でも、それを心の基盤にして羽ばたこうと彼は思わないかもしれません。話が飛躍しますが、マリリン・モンローの人を引き付ける微笑みは、彼女が愛されなかった少女時代に周囲の大人を呼び寄せようと無意識に会得したものだと聞いた事があります。「可愛い笑顔」は素敵ですが、多分高松は幼いグンマが自分と接していて可愛く微笑まなかったら、興味が薄れたかもしれません。
キンちゃんは何故か初めから高松に泣いたり怒ったりわめいたり手を叩いたり忙しい子でしたが、本能的に「母親」のにおいを高松から感じたのかも。泣き声の大きい子。高松とルーザー様がまとっていた「匂い(医者っぽさと言うか)」は似ているので間違いじゃないと思います。キンちゃんにとって両親は羽ばたくための「心の基盤」、心から愛してくれて自分の幸せを願ってくれる人達。自分をかまう人は親類・部下と多かれど、「お前じゃない」とキンちゃんは目覚めてから思ったのでしょう。
グンマにとって家族とは、「家族」である事が目的のような気がします。マジックが家族を語ると「こんな自分だけど父親だから」という深みがありますが、家族を語るグンマは今更自分探しをする大学生の様な感じがします。PAPUWAで「本当の家族になろうね」というグンマを、キンちゃんは優しい目で見ていますが、キンちゃんには側にいないけどちゃんと父母がいます。グンマのイメージする「家族」が、「何でも僕の言う事聞いてくれる神龍(高松)」であるなら、キンちゃんの家族観とグンマのいう「家族」は別物かもしれません。
媚びるというと大げさですが、グンマが「取りあえず高松に甘えればどうにかなる」という結論に達したのは早かったと思います。高松とて、実の家族と過ごす事もなく、士官学校でもまれる事もないグンマが、たった一人の家庭教師に甘やかされれば全くためにならない事は分かっていたと思います。もし高松に実子があったなら、甘えさせなかったと思います。「あの男の子供だから別にダメでもいいか」という高松の甘えもあったかなと思います。
グンマは高松から「安全」「品物」等は得られますが、「家族」「友人」「達成感」「充実感」などを得る事は出来ません。高松はどう頑張ってもグンマに「友達」「家族」を与える事が出来ませんし、「自分で頑張って周囲に認められた」という喜びの味も、グンマに教えていません(グンマのゆるい性格、グンマの「発明」を高松は本当はどう感じていたのか。南国の高松はテンションが高過ぎて真意が分らない。後ろめたいおっさんが一人ではしゃいでいる様にも見える南国高松)
ルーザー様の息子であるキンちゃんには、そういう人生における大事なものを感じて欲しくて、高松は自分の罪を告白し、隠居までに及んだと思うと、高グンの高松は駄目な神龍だなと思います。 |
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