■なんでマジックはラッコン叔父を殺そうとしたんでしょう。暗殺されかかったという事実はありますが、青の一族に「父や兄、親類の男達が男の子だけを育てる」習慣があるのなら、父の弟であるラッコン叔父は乳幼児だったマジックと少なからず接点があったと思われます(多忙な総帥の長男って誰が世話するんだ)。父と叔父が実は険悪だったのか、父の死で叔父が豹変したのかもしれませんが、険悪だった描写も伯父が豹変した描写もありません。
ライオンパパは臨終の際「私が死んだらマジック達はどうなるんだと」不安を感じていなかった様なので、ライオンパパはラッコンを信じていたと思います。どちらかであれ、マジックが将来「弟」を見殺しにするきっかけになりそうです。青の一族は「金髪碧眼で美形の男だけの仲良し家族」と作者は描いたのだろうと思いますが、みんな不幸です。
■南国&PAPUWAの原作者の「幸不幸」の見方について考えていました。不幸なキャラが頑張って幸福をつかむとか、ありがちですが出来ればその方が嬉しいです。又は不幸は不幸だけど、耐えて自分の幸せを見つけたキャラとか(自分の二次創作の高松がそう、キンちゃんと会えてよかった)。コタは不幸だけと、大人に頼っては幸せになれないと気が付いた利口な子でした。
もしかして原作者にとってキャラの「不幸」とは、キャラの個性を発揮するステップだとか、幸福をつかむまでのハードルではなく、「不幸は不幸」なんじゃないだろうかと思いました。何故なら、誰だとは言いませんが「濡れ手に粟」な永遠に若くて死なない番人だの、無職で美貌のナイスミドルがいるからです。「濡れ手に粟」を疑わない男達がいるのなら、本来自分が食うべき粟まで、美貌のナイスミドル等に差し出さざるを得ない立場のキャラがいやしないかと思いました。竹馬の友とか呼ばれながら。
原作者の漫画は個性があっていいと思います。でも起承転結でいうなら、「起」「転」しかないんじゃないかとたまに思います。例えば南国なら。起→転。
シンタロー 24歳で遅すぎる家出(※ドクターの示唆による決意。シンタローは分かっていないけど)→総帥就任 サビ 登場→ニート ジャン 死亡→恋人と贅沢な暮らし
連載当時は自分が子供だからキャラ達の物語の起承転結が呑み込めないんだと思っていましたが、今でもよく分りません。でもこの3名なら、「濡れ手に粟」を疑わないだろうなと思います。
■マクロスFのコミカライズをいくつか読んでいます。シェリル キスインザギャラクシーが好きですが、他にも何作かあります。監督が目指していた学園物マクロスの片鱗を見る事が出来ました。シェリルの「学園のアイドルはリアルでもアイドル」という、ありがちなのに好ましい設定が美味しいです。ランカの異様なまでのテレビアニメにおけるプッシュの嵐を思えば、シンプルに「学園物」としてのコメディでもマクロスFは自然だったかもしれません。読んだおかげで、気分的に喜劇>悲劇になりました。サヨナラノツバサで倒れても歌うシェリルが見ていて辛かったので。
■Gガンを見ています。建物や背景、衣装が凝っていてその点でも面白いです。デザインされては敗れていく脇役のガンダム達の愛しさも格別です。
ドモンがネオホンコンで指定された高級ホテルに泊まらず、知らないお爺さんのジャンクに泊まっているのが彼らしいなと思いました。少年時代はカッシュ夫妻の庇護のもとお坊ちゃんらしい暮らしだったんだろうなと思いますが、ギアナ高地での修行時代を思うと、気取らない場所がドモンに合うのでしょう。
なんて思いましたがそうでもなく。ドモンがきちんとしたホテルや寮に泊まらないのは、「レインが隣りの部屋に泊まる」「レインと同じホテルに泊まる」事を無意識に避けているからかなと思いました。レインの方がそういう度胸があるのでレインは「ホテルで休んで」とドモンに言えますが。(まあ普通路上・海上等よりホテルで休んだ方が疲れは取れますし、ドモンにファイトの連絡しなきゃいけないレインにしてみれば、四の五の言わず泊まれと言いたいと思う。)
ドモンは本人が思っている以上に、お坊ちゃんなんだろうなと思います。卑怯な事をしてまで勝とうとはしなかったり、言いたいことを兎に角言ってしまうあたりが。無一文の場合でも無謀な事を思いつくかもしれませんが、ドモンの場合は、カッシュ博士・東方不敗・レイン・ミカムラ博士・ネオジャパンその他の援護を信じていて、反抗心と甘えから気ままになりがちなのだろうなと思います。基本いい子なので、レインがきちんとフォローに入れば迷わないと思います。 |
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