■荷風の随筆を読んでいます。谷崎も好きで読みますが、谷崎と荷風は似ているけど違う作家なんだなと思います。変わりゆく東京を憂いているのは同じなのですが、熱海や京都、群馬へと東京の他へ引っ越す谷崎と違い、荷風は疎開以外ではほぼ都内に住んでいます。荷風の母や弟が都内で健在だった事もあるのでしょう。
文句の多い所も荷風と谷崎は似ているんですが、谷崎の方が激しい気がします。荷風も激しい部分がありますが、谷崎程相手に求めていない気がします。決定的な違いだなと思うのは、谷崎は生涯「面白いもの」を書く事を貫いた人ですが、荷風は「いつか真面目なものを書く」と誓っていた様な気がします。荷風の描いた真面目な文章も読んでみましたが、「頑張ったんだな」という印象でした。
■全然関係ないんですが。荷風のものを読むとなれば、自分は多分卑猥な内容のものをかなり読んでいる事になりますが、気になりません。朝刊や電車内で見るそういう系の広告が苦手で撲滅したいと時に思うのに、なんでなんでしょう。
■ルーザー様の趣味がダーツなので、矢場に若い高松を伴って行って、「まあ男子学生なのだから先輩に連れて行かれるのもあるだろう」と油断していた高松に、矢場女の真似をさせたい今日この頃です(※でも和装は兎も角、矢場に相応しい態度をとらないとならないから、結局球拾いさせられる後輩の図と変わらないかも。)
■回想ばかりの日誌ですみませんが、自分の周りに「先生」が沢山いた頃の事を考えていました。昼休みとか、みんなでバレーするより、職員室に行って受験勉強で分からなかった事を先生に教えてもらう方が楽しかった学生でした。高校くらいになると大好きな世界史・国語・英語にアホみたいに強くなったのと、いい加減先生達からも「自分で出来るでしょ」という感じを受けたので流石に職員室通いは止めましたが。インターネットもない頃、情報源は本と先生でした。
本当ならクラスメイトと年頃らしく過ごす方が、余程実りある人生になったのかもしれません。「実りある人生」とか大見得切って何かするとつまらなくて、「これは自分くらいしかしまい」と思う様な事程楽しいのは何でですか。
■そんなわけで「先生」が好きです。幸い「先生」関係でひどい目に遭ったとかもなくここまで来たので、趣味の二次創作でも「先生」「勉強」というワードには甘いです。ですがいい「先生」程、生徒が自分に頼って来たり、判断をゆだねようものなら「自分で決めなさい」と言います。いくら教壇に立つ相手に対してでも、全権委ねる様な態度を時に取った竹淵がおかしいんですが、今まで接してきた「先生」がいい人達でよかったです。
で。
南国&PAPUWAのキンちゃんと高松、過去においてはグンマと高松も師弟関係にあったと思います。グンマは好きな事しかしないし、何かあれば身分を楯に高松に高飛車に出たり、シンタローを味方にしたりと機敏に動けそうなので、高松もギリギリになるとグンマを手放しそうですが、キンちゃんに対しては愛しすぎて迷うかもしれません。
「出生」したキンちゃんの体に異常が無くて、生活面でも何とか自分でやっていけそうな見通しがついて、マジックやシンタローとの関係も穏やかに行きそうなら、高松はキンちゃんから離れないといけません。医者が健康な子にいつまでも付きまとうわけに行きませんし、血縁でもない高松が側にいるのも不自然です。なら部下として高松を従える事をキンちゃんが検討しても、コタローが目覚めない点でシンタローの怒りが高松に向いているでしょうからしばらくは駄目でしょう。
大好きな「先生」が離れていくのは寂しいけど、離れられる事に一抹の安心があったりするキンちゃん。「これでお前と対等に付き合える」と。実際はそんな事もなく、ずっと高松に子供扱いされるでしょうが、子供扱いするのは高松の深い愛情からであって、キンちゃんが調子に乗っても、もう怒ったり避けたりしないでしょう。
医務室かスタッフルームの回転椅子(事務室によくある普通の椅子)に座る高松に、「父の思い出の品を見つけた」とか言って、スライディングしてくるキンちゃんを想像して、「なんで」と思ったら竹淵の願望でした。興奮したキンちゃんに飛びつかれて、2人でグルグル回っていそう。 |
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