■スパークで出した新刊「119」を読み返していましたら、「煙の様に」と書くつもりで「煙に様に」になっていました。43項・小説部分「僕の子供を育ててくれないか」です。買って下さった方に申し訳ありません。「煙の中へかき消える様に」と書こうとして、長いので「煙の様に」としたら助詞が迷子になりました。
■原作者のブログを見た後、高松について考えていました。あの絵を一目見て「老けたな」と思いました。絵柄が変わったから老けて見えるのか、PAPUWAでめでたく57歳になった高松の後日の姿かもしれないから、順調な自然現象的に老けたのか不明です。老けてもしわが少なく、髪の色も量も豊かなのは高松らしいですが。絵柄が変わり頭身が上がったせいで、体格が不安定になっている印象を受けます。アニメ南国の愛嬌にあふれた丸っこい絵が好きでした。
絵的には南国のテレビアニメの高松が好きです。コミックスだと髪を下したシンタローの後ろ姿と、高松の後ろ姿、頭身、頭の形などが一緒くたになっていますが、テレビアニメだと「40代の男」「20代の青年」として輪郭や体格が描き分けられていて親切です。テレビアニメでは、「40代の男」が親子程の年齢差のある青年達と、同じ気になって戯れているのが面白いんですがいかがでしょう。いずれにせよ、ナイスミドルでありながら、内面ではルーザー様に出会った頃の様な初々しさ(90年代だけにZARDとか流れそうな雰囲気)を秘めた高松が好きです。(竹淵の脳内高松なのかも)
(よく考えるとあの絵高松じゃないかも。ジャンっぽい人がジャンじゃないそうなので。それにしても高松がチャン5に出る意味はなかったと思う。)
■柴田亜美作品について考えていました。南国のリアルタイムの時はコミックス一冊買いに行くのも大変な子供だったので、大人買い出来る今、やっと読み返す機会に恵まれました。とった年の分だけ理解が進んでいれば幸いです。柴田亜美作品の類を見ない特徴は、「人の醜さを存分に書く」所だと思います。主人公、脇役、悪役、ヒロイン問わず、言いたい事を何でも言う漫画だなと思います。「金払え」とかは鉄砲の様に言うのに、「ジャンを殺したのはルーザー」「シンタロー(白シンタロー)の父はルーザー」とか重要な事はだんまりですが。
カミヨミでも発揮された「人の醜悪さ」の描写ですが、ありがちでソフトランディングな展開を避けて通る潔さはあっても、長く愛される作品としてまとめるつもりは少ないのかもしれません。Gガンではないですが、キャラが暴走しても、作り手や、キャラの内面に他者への愛があれば修復可能と言いますか(レインとデビルコロニー参照)、折角の二次元なのですから「やり直し」は出来るんです。ましてファンタジーですし。「現実の人間そのままの悪辣さ(自分を助ければ友達にしてやってもいいとか言っちゃうシンタローとか。なんでもミツヤとルーザー様、コタのせいにしていい子ぶるマジックとか。)」を克明に描き、描きっぱなしで終わるのが柴田亜美作品なのだろうなと思います。短編ならアリだと思いますが、南国〜PAPUWA、カミヨミくらいの長さになってしまうと、多少物語に明るさがあってもいいかなと思います。
自分は高松の解釈について、半分以上テレビアニメの山崎たくみさんの声に頼っています。たくみさんの声は意地悪な演技をしても悪者になりきれなくて好きです。怒っている演技もでも、無暗に当り散らすと言うより、怒りながらこちらの反応を見てる感じがします。高松は、読み手のこちらが見ているのに、高松からの視線を感じさせるキャラだと思います。
原作者には高松はあくどい変態で鼻血のおっさん(全くその通り)止まりなのだろうと思いますが、テレビアニメでグンマの面倒を辛抱強く見ていて、幹部だろうにクマの着ぐるみとか進んでかぶって風船配ってくれる、悪人の癖に詰めが甘くグンマにも甘い高松を知っている自分には、高松があくどい変態だけの人でなく見えます。
少なくとも高松には、キンちゃんが初任給でご飯に連れ出そうとするくらいの人間味があると思います。高松なので初任給(幹部候補生なので20万円以下かなあ)は貯めておくか、貴方の御一族に酒でも振る舞うくらいにしなさいと説教しそうです。御飯にもプレゼントにも高松が乗ってこないので、シクラメンの鉢(3,000円くらいの)とか買って医務室に置いておきそうなキンタロー様。
「患者だって観賞するんだから置いておけ」と主張するキンちゃんと、来る患者全てに「キンタロー様が貴方方のために買って下さったのです」と言いまくる高松。素直に最初から飯に行けばいいのにと患者から突っ込まれる予感。 |
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