■カミヨミを読んで、それらしいかもしれない外観や名前、役職名を多用する事はあっても、それぞれの中身にはさほど興味がないのだなと思いました。ファンタジー漫画にそこまで求めていないと言えばそれまでですが、ならば生き生きと感情移入出来る展開かと言うと人を選びます。それでも「何か奇抜なものを描こうとした」気配があればこそ、全巻読みました。
(逆にいうと中身や本質や反応を気にしないで描けるから、人が及び腰になる内容が描けるのだと思う。いや、反応は気にしていると思うけど、まさしく「都合の悪い事は見ていない」。・・・多くの女性は好きな相手としか結ばれたくないと思うと思うけれど、男性はそうでもないという説がある。自分も大切にすべき相手に対し、愛や関心、思いやりすらもない人の「行為」は見るのも嫌だ。)
私はバカで。「医者は患者に優しく」「上司は部下を案じ」「部下は上司を敬い」「息子は父を慕い」「父は息子を思い」「科学者は真実を求める」ものだと思っています。間違いだとは思いません。ZARDの歌にあった様に、人に幸せになる予感を抱くだけでも幸せになれるんです。そんな恋に恋する少女の様な思いがいつまで続くかは分りませんが、むしろ、あれこれで生意気にもボロボロになった自分を客観視した後こそ、そんな慰藉を求めます。
何が言いたいのかと言うと。自分は20年前にテレ朝で南国少年パプワくんと言う、幸せの欠片をもらったのだから、それで満足なんです。コタローは帰って来たシンタローに救ってもらったんです(・・・)。夢の続きが見たいとか思うのは別次元の話でして、二次創作というウヤムヤな趣味をしていますが、自分で描いた(書いた)高松達は自分のものだと言う気持ちもあります。(だからなんだと言うつもりは全然ないし、人様の高松も大好きだけど、愛のない公式?アタックはジャンじゃないけど頭から消す)
■冬コミの原稿を描いています。日常漫画ばかり進んで、お話の核に手が届いていません。南国6巻でいきなり高松に懐いたキンちゃんの心理状態とか、去年から考えているんですが苦闘中です。
ルーザー様にまつわる、あり得ない戦死〜一時再生〜再度の死という物語も想像はしましたが、キンちゃんの話は描けてもルーザー様の劇中の姿は描かないと思います。ルーザー様と高松のお話は劇中で高松から語られるだけだからです。(原作者はルーザー様を「マジシン、ジャンサビを邪魔する男」「だから何をしてもいい」としか思っていない気がします。そのルーザー様を愛する高松に及んでは何をかいわんや。)
ルザ高は大半を脳内製造する事になりますが、脳内製造するなら、「ルーザー様は亡くならない。可愛いキンタロー坊っちゃんと勤勉な妻と暮らしている」とまで話を飛躍させたいです。「立派な医者、科学者にするために招いた高松少年が、実弟ルーザーの家族の様になった」経過について、いたかもしれない香川の御両親に説明しなくてはならず、頭を悩ます兄マジックが見たいです。ルーザー様は善悪の判断が付かないそうですが、善とか悪とか言い出す男の方が嫌です。(※マジックも別にいい事をしているつもりはないと思う)
■高松はグンマに対してはウヤムヤに接してきた所も大いにあると思いますが、ルーザー様とキンちゃんには高松らしくもなく、直球だったと思います。目下には傲慢に出て、目上には高慢に出る高松ですが、ルーザー様とキンちゃんには嘘偽りなかったと思います。
多分ルーザー様とキンちゃんは、高松が誤魔化しや回避行動に出たとしたら、何かに悩んでいる事を気が付いてくれるのだろうなと思います。別に特別な事じゃなくて、同じ事をしていても、どうでもいい相手の振る舞いなら何でもいいやという目で見ますが、好きな相手の事なら好意を持ってあれこれ気が回るというだけの事だと思います。
(高松の逃避癖も高松が何かを訴えている様に思える。追いかけてきてと言われて追うのは余程好きな相手だと思うけど、拙宅のキンちゃんはマメかも。あれだけ好きな相手に尽くすのが大好きな男が自分から去ったって、尽くす以上の幸せでも見つけたのだろうか。)
高松はその辺の好き嫌いの激しい人なのだろうなと思います。同じルーザー様についての復讐でもジャンには過酷に出て、マジックには弱腰とも言える当たりが高松の限界であって、人柄なのだと思っています。褒められた人柄じゃないですが、誰かを心から好きになれる人って好きです。
(こういう高松観って、既に原作者の管理下・影響下にない気がしないでもない。) |
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