■新国立劇場へ行って、ピグマリオンを見て来ました。初台が意外に遠くて、上野で新幹線を降りてから神田で中央線に乗り、新宿下車で京王新線に乗りかえって、田舎者への試練ですか。時間があれば、大江戸線で西新宿五丁目まで行って、吹の所から歩こうとも思いましたが、新宿は以外に広いです。
ピグマリオンを見て、何故イライザもヒギンズ夫人もピカリング大佐も、ヒギンズに「変わって欲しい」と願うのでしょう。教授が優しくなってくれれば親しく打ち解けられるでしょうが、もうそんな教授は別人かもしれません。イライザは教授のレッスンに耐え、教養を身に着けて恋人にも恵まれますが、教授がもしイライザを優しく扱う様になってくれれば、イライザは教授の側にいたかもしれません。
イライザは教授に恋の片鱗があったのか、可能な限り教授の乱暴な物言いや、冷たさに耐えて見せましたが、もう無理になったのでしょう。教授もイライザの魅力や才能を認めつつも、従来の頑固さが捨てられません。ラブコメではありますが、イライザが「腐ったキャベツ呼ばわりされても教授の側にいたい」とは思えず、教授も「こんな愚かな私だが愛する君にこそ私の側にいてほしい」と切り出せなかったのだから、教授が捨てられるのは仕方ありません。
ピグマリオンがルザ高の参考になるかなと思いましたが、ルーザー様がマイフェアレディしても、高松が「ののしられても無視されてもお側にいたい」「私の仕事は全てルーザー様とキンタロー様のために」と腹をくくってしまったので、逆に「お前もう少し自分を大事にしてくれ」とルーザー様とキンちゃんが困っていそうです。
「高松が謙遜なんてもんじゃなくなっている。僕の気持ちは高松に欠片も伝わっていないんだな。僕は高松から見るとそんなどうしようもない男なのか。」とルーザー様が落ち込んでいそう。キンちゃんは高松が折れるまで思いを言い募っていそう。(高松はキンちゃんには母たる沽券もあるし、子供から無条件に慕われる嬉しさもあるんだろうなあ。ルザ高って高松がかわいそうだと思っていたけど、もしかすると辛いのはルーザー様かも。)
「僕がそんな事いつお前に言ったんだ」と相手に言わしめてしまいそうなのは、高松もイライザも変わりない気がします。ラブコメだからでしょうか。教授にもルーザー様にも「彼等なりの分りにくい優しさ」はあったと思います。キンちゃんはストレートに高松に甘えて頼れる子なので、キン高が自分は安定していて落ち着きます。(キン高、高グンは、教えられる方の元気が良過ぎてピグマリオンじゃないと思う。例えるなら「坊っちゃん」の坊っちゃんと清で。)
■ジャンプスクエアの新テニを読んでます。新テニは各校のキャラが一気に出てきて面白いです。斎藤至コーチは少しずつ出てきているので、出てきたら毎回喜ぼうと思います。真田弦一郎が好みです。放課後の王子様も面白くて好きです。漫画やアニメっていいなと思います。二次元ではありますが、二次元だからこそ出来るはっちゃけ、「そうこれこれ見たかったんだ」と思わせてくれます。竹淵の現実逃避というだけかもしれませんが、四六時中現実と戦わなくてもと思います。
■原作者のブログ、何故高松だったんだろうなと思いました。シンタローを描けば紅やパーパと見分けがつかない(※全身を描いて衣装やポーズで「シンタローだな」と思わせる事は可能だけど面倒だからそこまでしないと思う)、パプワでも描きようによってはヒーローや他の子供キャラと区別できない致命的な事情故でしょうか。青の一族の面々も、掲載時から既にマジック、キンちゃん、ルーザー様の描き分けはされていない様なものですし、サビ、ハレも20年前の絵と相当変わっている以上、「ああサビか」と気が付かないかもしれません。
描かれるべきはチャンネル5の炎兄さんや刃だったと思いますが、更に「誰」状態になるでしょう。炎兄さん好きなんですが。カミヨミのキャラではますます「誰」でしょう。ならば貴重な女子キャラである美しく強さも兼ね備える菊理嬢や、母性と父性の人・蘭大佐が見たいんですが、漫画の流れで嫌でも描かねばならなかっただけの女子サイドは、落書きでも描かれないだろうなと思います。
原作者が高松に愛着があるとか、「高松が私の青春でした」という思いがあっての事なら自分も祝杯を上げます。そうでないと思うので上げません。(チャンネル5の悪玉としての高松を描いたなら、チャン5に高松が出た事からして指摘したいくらいだ)
なんか描きたかったのなら。戦闘等で「みっともない汚れ仕事はアラシヤマに」と言わんばかりにハブにする事で、担ぎ上げられていたリキッドを、何故描かなかったんですか。キャラへの愛って、キャラを主体的、立体的に表現する事にあると思いますし、別にそれが上手くいかなかったからって、とがめられるものでもないと思いますが、好き程祭りたてておいて、気が済むとキレイに忘却はどうかと。 |
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