■寒さで血行がよくないのか、肩こりがひどいです。近所に接骨院があるので通う事にしますが、原稿後の肩のいかれ様は原稿前から悩みです。描いている時は気にしません。
接骨院にガラスの仮面が置いてありました。一連の魂を抱いて舞台に立つ月影先生が、某タレ目ドクターに重なりました(重症だ)。一連の死を女優業を続ける事で越えた先生が好きですが、ルーザー様も高松を仕事上の絆でもいいから愛してくれたんでしょうか。その辺は自分の本で描きますが、高松が、ルーザー様が自分へ残していったと感じているキンちゃんや、「科学」について、(ジャンとかいう人に)「侵犯された」と感じたら実に大変な事になると思います。
■(私が)楽しい事を書きます。キンちゃんは高松が亡父との関係を「ルーザー様には大変お世話になりました」と言い表す事に不足を感じるかもしれません。大抵の子供がそうであるように、父母にはいつまでもいたわり合って欲しいから。もう少し潤いのある表現が欲しくなるのでは。(明確に表現してもらいたくなるだけで、高松がどれ程父を思って生きてきたのかは、既にキンちゃん分かっていると思う。)
キンちゃんも例えばシンタローから高松のどこがいいんだと言われたら、「いつも世話になっている」としか言えないと気が付くかもしれません。高松は(グンマを含んで)余人にルーザー様の事を話しませんが、キンちゃんも、高松と付き合いの長いハレやマジックなら兎も角、「あの変態にお前はたらし込まれている」とアドバイスする気のシンタローに、自分の思う高松の姿なんて話したがらないでしょう。
高松はキン・グンに鼻血は吹けど、本当の思いは2人にも見せたがらないのを、キンちゃんは分かっていると思います。自分の見せたい自分しか見せない高松の、たまにしか見せない素顔なんて、キンちゃんがいそいそ語るものでしょうか。結果、「高松には色々世話になっている」とだけシンタローに言い、シンタローは「別にお前が感謝する話じゃない」と言い返すのでしょう。キンちゃんが高松に抱く感情は感謝も多分にあると思いますが、とっくに色合いが変わっている様な。
キンちゃんもシンタローの前では「出来る男」を通したいだろうから。高松のいい所なんて言えばのろけるし、自分のイメージを進んで崩すのは嫌かも。高松に「キンタロー様は私がお側にいないとだめですね」とか言われると以前は反発していたものだが、「皆が見慣れた」高松の過保護に乗じて、公然と高松に甘える事を覚えるキンタロー様。どこが「出来る男」。
■マクロスプラスを見ていました。他のマクロスより大人の雰囲気で何度も見ないと全部理解出来ない所もありますが、例えばマクロスFの様に「歌いたい」気持ちがストレートに表現されていて好きです。自分も書きたい事があったら書こうと思えます。
イサムとガルドについて。最終巻で思いっきりぶつかったから、ガルドに過去の記憶が蘇ったのでしょうか。普段生真面目に暮らしているガルドなので、動物的衝動とも言える怒りや憎しみをずっと見ないで来たとか。ミュン、ガルドは7年間封印していた「思い」を再会して取り戻していきますが、イサムは7年前とあんまり変わらない気がします。ミュンへの態度も7年前と変わっていないのでは。
もし南国が原作者の主張する様に「年少者には分からない」作品であるなら。マクロスプラスくらいの、抑えるところ抑えて、上げる所マックスまで上げる事は出来なかったんでしょうか。20年前の南国に不満はありませんが、不満があるとすれば「読者置いてきぼりなのは仕方ないけど、そっちの都合で置いてきぼりなのに、奇抜な解釈を強制したがる」所でしょうか。
高松もイサムの様に、「いなくなってしまえ」と思う相手に、正面からぶつかる事があればよかったなと思います。イサムは不幸な事件があって、「自分がいなくなれば収まるのでは」と思った優しさを持った男ですが、高松の場合、正面からぶつかろうが、背後から刺そうが、確実に仕留めそうなので、やはり根がえげつないのかも。少年同士の様な喧嘩なんて高松は好まないでしょうが、別の主人公クラスのキャラ達も、「正面からぶつかる」姿なんて死ぬまでない描かれない気がします。何故って原作者が描けないから。 |
|