チャンネル5について。
■なんでアニメージュで連載していたんだろうなと思いました。愛されていたテレビアニメの南国の勢いを誌面に呼び込みたかったのだろうなと思いますが、原作のコタの扱いを思えば、「畳めない」事は想像出来たと思います。南国連載中にチャンネル5の連載が始まったので、南国の「畳めなさ」が知られる事は後の話になりますが。チャンネル5連載当時は、テレビアニメ南国の余熱が世間に残っていて、コタの件だけじゃなく、原作者の「畳めなさ」が知られていなかったのだと思います。
連載において話の趣が変わって来たり、休載が多かったりする事は多々ありますが、特に無理な引き伸ばしや横暴な圧力があったとは聞いていないのに、原作者の意欲がみるみる減っていったのが分かる作品ってのは少ないと思います。チャンネル5はそんな理由で中断したんじゃないと思ってみたいですが、刃兄さんが満腔の思いで自分の両目を潰したのに、あっさり蘇る雷ってなんですか。エドガーの暴走を畳む気が原作者にあったのですか。
カミヨミの様にいたずらにボロボロになっていくキャラを人形の様にいたぶる作品だったと思います。素の原作者の姿が南国の頃はまだひた隠しにされていただけで、南国が好評を博し、緊張が解けた後は自由気儘にキャラをいたぶる様になったのでは。(刃兄さんなんて、紅と戦って怪我するは、ベッドシーンを誌面で公開処刑されるは、ブラックの働き蜂だは、剛を殺されるは、雷を殺してしまうは、無駄に目を失うはで、かわいそうの一言。)
黒幕として高松が出てきますが、あれも新キャラを考える力が原作者に足らなくて引っ張り出されたに過ぎないと思っています。大体、国家における「最高機関」とは通常は議会を指すので、政治家でもない一科学者の高松が所属出来る所ではありません。また政治と科学が結託するのは余りよろしくありません。末期的な国の様相を描きたいと原作者が考えていたのか、科学や政治に興味や理解がないまま、「科学者」「戦争」を描いていたのかでしょう。PAPUWAのキンちゃんの側で脇役やっている高松の方が幸せそうなので、自分はそっちの高松の方がいいです。
あと炎兄さんがハブ過ぎて泣けます。
(もし紅=南国のシンタローなら、存在の弄ばれ方がほとんど一致している。シンタローも南国&PAPUWAで実は主人公でなくて狂言回しだった気が。)
■グンマについて考えていたんですが。
■登場人物紹介にあった「群馬県出身」は、原作者がアトムの天馬博士にリスペクトしているという事でもないとすると。仮定ですが、「ルーザー様の奥方になるだろう女性が群馬県出身だった」から、高松がグンマをルーザー様の子供らしく偽装するために考えた名前かなと思っています。
もしそうなら。高松がいかにグンマ・シンタローの出生時に「ルーザー様の子供の幸せ」を願っていたかよく分ります。高松はルーザー様の子供に「立派な父親に愛されて成人」して欲しかったのでしょう。自分と二人きりじゃ、ルーザー様の子供は強大な組織の中で生き抜けない、父君の様に道半ばで倒れると思ったのでは。
南国5巻で姿を現したキンちゃんに対し、高松が望んだ事は「お身内と仲良く」という事でした。策謀でキンちゃんを総帥にまで押し上げる事は出来なくはないけど、キンちゃん自身が幸せを感じないなら意味がないです。キンちゃんに与えた名前は、ルーザー様と生前に「兄さんの子はシンタローと言うらしいから、セットになるような名前がいいね」とでも語らったのかもしれません。
グンマが仲のいい同級の友達も、愛してくれる父母もなしに、高松の庇護のみで成人していった他人行儀ぶりを思うと、高松は24年間本気の愛をグンマに見せなかったのかなと思います。「グンマ」への愛おしさはあれど、高松の心はいつもキンちゃんにあったのかなと。
高松秘蔵の名前をキンちゃんに付けたのだから、「グンマ」という偽装のために講じた名前の価値は、高松の中でどんな優先順位だったのか想像できます。何も知らないグンマは面倒を見てくれる高松を慕うのですが、ウソと策謀と高松が1人で抱えている恋心をグンマが知った時、グンマが素直に受け入れられたとは思えません。グンマは高松のエゴを受け入れる必要はありませんし、マジックの息子なんですから、出来る方法を全て使って高松を排除しても構いません。
そんな高グンの攻防を浮かび上がらせて置きながら、アラシヤマ番外編でグンマの涙と鼻水を自分のハンカチで拭いてあげる高松。高松が拭きたいのは高松が拭きたいのだから自由ですが、拭かせるグンマは変節したんでしょうか。もうどうでもいいと思ったのか、何だかんだ言って高松以上に自分を見ていれくれる人はいないと思ったのか。マジックがグンマの鼻水を拭く所は想像できませんが。 |
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