北陸新幹線に乗る夢を見ました。学生の頃サンダーバードは乗った事がありますが、また出かけてみたいです。
雑感です。
■柴田亜美作品における他作品に例を見ない傾向として、「歴史ものでもないのに主従」があります。自分は三国志や中国ものが好きなので主従関係の描写はむしろ好きなんですが、近年の原作者の傾向は流石に20年前とは違ってきたなと思います。
ちなみに歴史ものにおける主従関係の描写って、背景や設定、彼等の使命、仕事内容を立体的に書き込んでこそのものです。谷崎の小説くらいの年代でも、「お嬢様と下女下男」はいますが、理由があって従う方は特定の相手にひざまずいているんであって。
(あえて言えば。横光のバビル二世でヨミの部下達の服従具合に疑問を感じる読者はあまりいないと思う。何故って物語が怒涛な上に、ヨミが命を投げ出すに値する男である描写がされているから)
■自分のこの一年のテンプレである高松についても、キンちゃんとグンマに何かあれは高松は腹を切るとか言いますが、あれは高松個人の献身であって、高松が周囲に「キンタロー様とグンマ様を私がしている様に敬いなさい」と脅迫に出たことはなかったと思います。
キン・グンは権力者の家の子なので、一介の医者の高松の気持ちがどこまで有効かは分かりませんが。ルーザー様への思慕に由来する高松のキン・グンへの気持ちですから、高松の胸の中にこそ動機があれ、周囲とは基本関係ありません。
■スクランブル!とカミヨミにも主従コンビは幾組か存在ますが、何故読んでも萌えないんだろうなと思いました。たぶん、クラウスのスカイへの忠誠(?)がそのまま物語のキーになっているからだと思います。主従コンビの関係性は主従の中だけで完結していてもいいと思っているので、忠誠即物語のキーとなると途端に追う気が減るのだと思います。
(こうなるとスカイの性格がよく分からないという苦情すら浮かばない。主従とは、恋人同士の時間の如く閉じられたものでもいいと思う。ルーザー×高松、キンタロー×高松の、時が止まった様な閉塞感がたまらなく好きだ。)
帝月と瑠璃男の関係も、瑠璃男が帝月を褒めちぎらないと話が動かないというか、キャラが動かない時点で、萌えにくいです。柴田亜美作品の場合、主要キャラに「周囲に褒めちぎられないと動かない、またはやむを得ない状況にまで追い込まれないと特に何もしない」という特徴があります。ただでさえ腰が重い主要キャラは、「キャー素敵」と周囲に言われて「仕方ないなあ」とやっと動く気がします。
南国初期がイトウ・タンノのシンタローへの猛攻で話ができているあたり、昔から「主要キャラは腰が重くて、よく言えば期待を背負う存在であり、悪く言えば物語に対し怠け者」なんだなと思います。(PAPUWA初期のコタは記憶でもなくさない限り、徒手空拳でガンマ団を滅ぼしそうだった例外キャラかも)
■さらにまずいのは。柴田亜美作品の献身的なキャラといえば、頭も使えて、周囲にも優しい筋の通った人が多かったんですが。イトウ・タンノはいい所ありますし、アラシヤマも意外と紳士です。PAPUWAのトシさん、近藤、山南達は誰かをマンセーすれども理性と優しさがあったと思います。高松もえげつないえげつない言われていますが、人として大事なものは失っていません。
クラウスの脈絡なくスカイに従っている姿と、瑠璃男の憎らしそうに平家蟹を見下す所は、読みましたが好きになれなかったです。 |
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