■気が違った様に雑感を書きます。ルーザー様の早過ぎる死、高松を襲った絶望、父を失ったキンちゃん。これらの悲劇の物語における「意味」を考えていました。生前ルーザー様は、赤の秘石の脅威から新しい家族も含めて「家族」を守ろうとしたのだろうと自分は思います。もちろんマジックの命令ありきで。(秘石が劇中で放置されているのが悔しい)
本来南国はシンタローがマジックと向き合う話だったと思います。所が原作者の傾向はよく言えば白黒はっきりしていて、よく言わなければ短絡的な部分が見受けられます。互いに努力して父子が近づく話が思い浮かばなかったのでしょう。戦闘=全滅、即死等の描写しかない(まさか出来ない?)原作者なのでそう思います。
原作者は思い入れの少ないキャラだったと思うルーザー様を、マジックの代わりに中傷した上に二度犬死させています。ジャンを手にかけるのは本来マジックの役目、子供から断罪されるのもマジックの役目ですが、マジックが倒れればシンタローを一番持ち上げる男が消えるので出来なかったのだと思います。(シンタロー=原作者だった時期があるので、保護者のマジックが消えるのは回避したかったのか)
■肯定的にルーザー様の二度の死を考えると。煮え切らない男女の様なマジックとシンタローの場合「一回喧嘩すればもう終わり」という恐れがあります。しかしルーザー様、高松、高松を通じて父を知ったキンちゃんの3人には性別や生死に関わらず信頼関係が出来ているので、父子でぶつかりあえるとも言えます。
ルーザー様は「僕が本気を出しても高松がキンタローのフォローに入る」と思い、キンちゃんは「俺が父さんとぶつかっても高松は俺を理解してくれる」と思えます。マジックとシンタローの場合、サビやハレ、コタ、グンマが周囲にいますが、多分彼等が高松がルーザー様とキンちゃんを思う様な気持ちでマジックとシンタローに介入する事はないと思います。
■サビは「自分の自傷行為は実兄が自殺するくらいの特別な事」と信じて疑わないエキセントリックな男です。どう考えても他に何か理由あるだろと思います。マジックとルーザー様が衝突して、ルーザー様は自殺を兄に迫られたけど、それでは残していく妻子の名誉にならないので戦死扱いにしたとか。生まれながらの暗殺者である兄弟のために殺人を繰り返すのには抵抗がなかったルーザー様も、(口元にほくろのある)可愛い妻と生まれてくる子供の事を思うと、もう暗殺をやめたくなったとか。
■どうもずれているなと思う点が、南国でのシンタローの扱いです。当時シンタローを好きだった方達は、きっとシンタローがマジックの所に帰って、弟を救うとか、マジックの行いに異を唱えるとか、シンタローの思った通りにしてくれるのを望んでいたと思います。
しかし原作者はシンタローに「マジックの愛した男にシンタローは生き写しだった」という設定を付けました。異性愛っぽい父子だなとは今も思いますが。シンタローにはそんな設定がなくとも、当時十分に魅力があったと思います。マジックは父として劇中で自分の行いを振り返ってくれればよかったと思います。
シンタローが実は赤ないし青の番人だったとか。(特に求められていない気がする)意外性を狙ったというか、キャラを行動ではなく肩書で魅力付けしようとしている点が解せません。PAPUWAで実質4歳のキンちゃんにコテコテ設定を足していったあたりから違和感があったんですが、違和感の正体は原作者の、「肩書>キャラの行動等」な傾向にあるのではと思っています。 |
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