毎日気が違った様な日誌ですみません。鎮静剤代わりに頭の中のもやもやを文章にしていまして、すみません。
■20年前の南国って総合芸術だった気がします。アニメのスタッフの方、声優さん達の努力で別物になっている部分も多いです。当時の漫画のアシスタントさんからのキャラへの愛情は今もコミックスから伝わります。南国、PAPUWA、チャンネル5、HEROという作品が生まれたのも原作者を取り巻く人達の努力あっての事だったんだろうなと思います。断じて南国もPAPUWAも、原作者の嗜好性を崇拝するだけのキャンペーンだったわけではないと思います。
■高松とキンちゃんの話が描きたいです。高松は自らキンちゃんに「従う」事で、生まれたばかりのキンちゃんを幹部にまで育てたんだろうなと思います。馴れ合うお友達でも優しいだけの家族でもない、適切な命令と態度を持って接しないといけない「部下」とはなんなのか、高松はキンちゃんに教えたのでしょう。(なおかつキンちゃんの濃いめの金髪に嬉しそうにドライヤーをあてる高松がいそう。「元がいいんですから手入れも大事ですよ」と言いながら。部下というより乳母っぽい。)
■死ななかったルーザー様とキンタロー坊ちゃまと高松が描きたいです。冬にスイスの高級リゾートへマジック伯父様達と出掛けて、ルーザー様と高松はマジックの「社交」のために、自分達の科学者たる実績と名声を生かし名士達と交流。キンタロー坊ちゃまは従兄のグンマにスキーを教える感じで。でもインストラクターにキンちゃんとグンマを預けるのは高松が異を唱えそう。名士との交流より子供達の世話を取るだろう高松。
ルーザー様と高松とキンタロー坊ちゃまの関係について。「苦学生だった高松への出資者は青の一族である」という結論上、各国の名士達は高松のルーザー父子への態度に納得するだろうけれど。もしあのルーザー様が「息子と雪だるまを作る」程、「家庭」を愛する男になっていたなら。高松の立ち位置はおおよそ見当が付きそうです。
南国&PAPUWAの青の一族の設定にマジレスすると。
■独身男性が乳児の親になる事は、(日本の児童福祉の考え方で言うと)あり得ない。父子関係は、父と「父と婚姻している母が生んだ子供」に認められるものであって、子供を生んだ女性と生まれた子供の母子関係は分娩により明らかだけど、父子関係を証明するものは「婚姻」のみ。
■なので生まれたばかりのキンちゃんの「父」にルーザー様がなるのはまず無理。独身の男性が「父」になるには、成人した同士で養子縁組をする以外、原則方法はない。まさかルーザー様は胎児認知届を出した訳じゃないだろうし。(成人同士の養子縁組って、戸籍上の名字を変える事が出来るので、よくない場面で多用されている面がある)
■原作者はパタリロのバンコランの家を参考にしたかもしれないけど、バンコランの代では兎も角、バンコランの先祖は奥様を迎えて子息を設けた上で、ひた隠しにしつつ趣味に走っている。(※バンコランの「趣味」は劇中でちゃんと「異端」扱いされている場面がある。)
■原作者はそんなに婚姻を伴わない父子関係を描きたいのなら。師弟関係を描けばいいのではと思う。でも芸事や学問の描写なしで、弟子を異性愛の如く甘やかしては師匠でもなんでもないので、父子・叔父甥・従兄弟関係で「恋人」描写がしたい原作者には向いていないかも。
そう思うと。高松はキンちゃんと科学において師弟であり、情は親子であり、肉親でもないので何でもありだなと思います。でもキンちゃんが安直にファンタジーな方法で「子供」を求めたら、高松に説教されると思います。(高松の場合、グンマにもキンちゃんにも父にあらず、「仕える」身と宣言しているのが彼らしいと思う。)Content-Disposition: form-data; name="image"
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