■久しぶりに緋文字を読みました。牧師が不義の罪を犯してから告白するまで7年です。人間がどのくらいの年月自分の罪を黙っていられるのかは人によると思いますが、漱石の「こころ」の先生がKを失ってから自死するまでも、静が私と再婚して子供を授かって幸せになった事を思えば、そんなに長い年月ではなかったと思います。
高松の24年間が文字通り桁違いなんです。南国は途中でシンタローが赤の番人として目覚めて、青の一族の長であるマジックを葬り去るというシナリオが出来たまではよかったのですが(以下略)。自分の罪を告白した高松はそのまま牧師の様に息絶える事はありませんでしたが、ちゃんとルーザー様が高松をお仕置きしたかったのか手を上げて下さったので、マジックも怒っていないと思います。
(マジックが高松に寛容なのは「実の息子達」に関心が薄いせいもあるので、グンマだけが高松を忌みそう。コタは苦労人で勉強家のキンちゃんと気が合いそう。勢い、キンタロー兄ちゃんのお師匠でもあり、自分の主治医でもある高松を嫌いにはならなそう。インフルエンザの予防接種などを渋るコタに「高松を信じろ」とか言い出しそうなキンタロー兄ちゃん。)
■柴田亜美作品と言えば、「おじ様と男の子」みたいな同性の年の差カップルもどきですが。(カミヨミの八俣みたいなキャラはテンプレだったと思う。)同じ「おじ様と男の子」でも大別して、「親愛を寄せ合う様になるまでのお話を盛り込んでくる」場合と、「どんなに読んでも溺愛の意味がよく分からない」場合があると思います。(溺愛されるキャラはサビみたいに肉親の男性や近しい男性に囲まれている事が多く、「自分は愛されて当然」オーラが激しくてキャラの本質がよく分からない。)
PAPUWAのイサミさんとソージは読んでいていいなと思います。当初面白いだけに終わるかと思ったイサミさんが、きりっとソージに接する後半の場面はよかったです。かくれんぼするソージとイサミさんもよかったです。
カップルではないですが、ルーザー様とキンちゃんも、原作者には珍しいくらいぶつかり合う人達だったと思います。(高松が精神的にこの父子の間にいるから、彼等には本気でぶつかり合ってもお互い孤独にならない安堵があると思う。)
憶測ですみませんが、イサミさんとソージ、ルーザー様とキンちゃんのお話は主役だったはずのマジックとシンタロー、コタローためのものだった様な気がします。原作者の考え方は「戦えば全滅」の様な短絡性が時々出てくるので、感情移入が激しかったシンタローに試練を与えられなかったのでしょう。コタは不動の放置。主役向けの辛い試練は何故か脇役が代行する漫画。
■チャンネル5に何故原作者が飽きたのか考えていました。当初はシンタローそっくりの青年が出て来て読者の興味を引いたと思いますが、それからはぱったりです。思うに、原作者が大好きな「権力とお金と名声を持っていて甘やかしてくれそうなナイスミドル」「そのナイスミドルに寵愛される男の子」が出せなかったからだと思います。
南国〜PAPUWAが何故か続いたのは、自分はマジックの存在故だと思っています。伯父様・お兄様・パパ・上司・アイドルを兼ねられるキャラはそうそういないと思います。
それだけチャンネル5が健全な進行具合だったと言えます。雷が出てくるまでは、理由なく男に溺愛される男はいませんでしたし。雷の登場で原作者も本腰かと思いきや、雷や刃は「ロボット」です。人間と変わりない心を持っている彼等ですが機械です。体が機械と言うだけで、炎兄さんなんて兄全開で自分は大好きです。
■原作者は紅達が「生身の男」じゃない事に、今更気が付いたんでしょうか。漫画なのですから、心のあるロボットでも十分いい男になれますが、原作者的には面白くなくなってきた設定なのかもしれません。
「横柄な美少年」ということで闇丸くらいは原作者の興味を保てるかと思いますが、単発的な事件ばかりが続くカミヨミと違い長編になる予定だったチャンネル5では、闇丸を短絡的に動かすわけにもいきません。刃はあの性格なので将軍にも闇丸にも音也にも淡々としていますし、闇丸の側にいる高松も人が変わったように鼻血も出してくれません。(原作者的には高松の過剰な愛情表現はキャラをディスっているのだろうと思うけど)
原作者が飽きる程健全な話だったなと、チャンネル5に対し思います。 |
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