madeingermany

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...... 2013年12月23日 の日記 ......
■ ふと   [ NO. 2013122301-1 ]
■年末年始が苦手です。忙しい時間に区切りがつけば普段使わないほど長い時間が与えられて、冬コミにサークル参加ないし一般参加した場合の出費、大阪遠征の出費を思うと、そんなに他の事に予算と体力が回る訳でもありません。自分なりに年末年始を盛り上げようと無理した年度も何回かありますが、大抵一人相撲になって、風邪を引いて寝込んでいた方が気が晴れるくらい、気分の上下が激しくなります。

自分は文系ですが気分の上下幅なら、ルーザー様と勝負出来るかもしれません。善悪の判断云々というより、一度気分が揺れると揺れきらないまでは、脳の中がブンブン振り回されます。悪意や悪気がなくてもです。最近、自分が「ああまた始まった」と思った時は、「ルーザー様がこうなった場合は高松が見守ってくれるんだろうな」と思う様になりました。

キンちゃんも同様で、シンタローやグンマには見せられない醜態を、高松の前では惜しげなくさらすんだろうなと思います。(高松の悲喜の感情幅も大きいけど、高松は自分である程度まではコントロールしていそう。ルーザー様の立場とか、キンちゃんの未来とか高松にはどうにも出来ない事も多いけど。)

自分が二次創作をジャンルが変わっても止められないのは、どこかで自分の感情の旋回を「彼等」に託す事で和らげているからだと思います。(ミラクル☆トレインの新宿西口一は多感なイメージの子で、兄の西新宿五丁目吹は年長らしく一を受け止めてくれるイメージだったから、飽きれるくらいのリピート三昧。)


■部屋の掃除をしながらすずめちゃんを読み直して思ったのですが。もし原作者がすずめちゃんを頭で考えて描いたのではなくて、まさしく雑談の様に紡がれた後で顧みられる事もなく生み出したとしたら。ヒットした南国も雲をつかむような混迷の中で支持を集めた如く。すずめちゃんも、作者の意思が発揮され、計画的な物語と練られたキャラに出会える漫画というふうではなかったなと思います。当時作者に類を見ない勢いがあったのは事実ですが、作者の作品への継続的な「情愛」は薄かった気がします。

よく大御所の漫画になると、「原点回帰」とも見える漫画に巡り合う事があります。むしろ少女漫画では著しい傾向かもしれなくて、「このキャラ懐かしいなあ」と思う事もあります。マクロスFのランカ・リーのまどろっこしさは監督が意図的に初代ヒロインのリン・ミンメイを想起したからだそうです。マクロスにはいろんなキャラがいますが、懐かしさを抱かせつつ、意図的なものも感じます。

■意図的に作り出したものだから振り返る事が可能なのであって、ポトンと生み出してそれっきりでは生み出された方も生んでくれた方に懐かないでしょうし、キャラを愛してくれた読者もキャラと一緒に作者に放置されている寂しさを味わいます。放置されて寂しいくらいなら我慢もしますが、ディスられていじめられる可能性もあります。(傷つくだけで終わったチャンネル5の刃、永遠のサンドバック・アラシヤマとウマ子ちゃんなど)

■考えようによっては、生み出された後、キャラが命を与えてくれた存在を忘れて歩き出したという珍しい事でもあります。(ルーザー様なんて本当に脇役なのに、主役級の試練と悔恨と出来のいい息子と可愛い妻を授かった)

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