■人生で一番漫画を貪欲に読んでいた90年代に自分が出会った作品は多く、皆自分の栄養になったと思っています。何故か血肉にしそびれた南国を読み返してみて一年、いまだに不消化な部分があります。納得出来るまで南国&PAPUWAをミンチにしようと思います。好きなものを切り刻むのは楽しいです(って不消化過ぎのチャン5に出てくる、えげつない医者が言っていました。)。
■自分が写真を撮ったり撮られたりする事に興味が薄いせいか、南国&PAPUWAの原作者の被写体になるのが好きらしい事に違和感がありました。自分の関心が薄いくらいで人様の好き嫌いに物申す気はありません。知人からくる「家族の写真の年賀状」を見るのは好きです。
■私は自分の顔写真なら証明以外に求めなくて、人様の姿や風景なら、大体記憶出来るので形に残そうと思う事が少ないです。むしろ知人と旅行などして「あの時のあの風景の中のあのお店のあのご飯がよかった」と言っても、相手が忘れきってる事が多く、自分の無意識のこだわりが空恐ろしいです。
(原作者の自己投影の強さから推量すると。劇中でアラシヤマがシンタローの写真を唯一無二に大事にしたりと、写真が出回るキャラが少なくないのは、原作者の「(自分がそうなりたい)希望」なんだろうか。少女漫画で好きな異性の写真を集合写真から切り取って仕舞っておく様な可憐さではなくて、アイドル写真が注がれる規模の巨大な崇拝と執心を原作者が「希求」している様に思えなくない。
パプワ島に住む動物達が動物であって動物でない様に、少しづつ原作者の「裁量」で漫画が形作られてきた事は感じるけど、オブラードが減ると大変かもと思う。マジックがシンタロー人形をスリスリしているのは微笑ましくて大好きだけど、「世界的富豪の独身ナイスミドルにスリスリされるのは私」という原作者の「希求」が寸毫でも見えれば大変だと思う。)
■高松は「変態」枠キャラとして、原作者の「庇護」からいつも放逐されがちな立場でよかったです。キンちゃんも見逃されているけど身内に平気で盗聴器つけているので、軽く変態の方かもしれません。「キンちゃん警備室呼んで」とグンマが言ってもキンちゃんも高松も無視してたのは、キンちゃんも高松の隠居先に盗聴器しかけていたから。(※盗聴器と言うから物騒なんであって、「安否見守りセンサー」的なものをキン高でつけ合っているだけでは。いずれにしろグンマには迷惑な話。)
■南国&PAPUWAを読んでいて感じる違和感に、「好きな相手の写真」に対する態度があります。高松の様に写真でしか慕えない様な故人に恋したり、または案ずれど遠方にいるキンちゃんの写真に鼻血を出すくらいなら、「会えないから仕方ない」と思います。
ですが、しょっちゅう会っていそうなシンタローの写真をサビが終始持っていたり(シンタローをジャンに見立てているんでしょうが)、マジックがシンタローの幼少期からの思い出を宝物にしていたり(これはジャンのせいだとしてもあるかなあ)、シンタローもさっさとコタを救わないで写真ばかり見ていたりと、写真の本人は頑張って手を伸ばせば触れるだろうに、写真ばかり大事にします。
くり子ちゃんの写真をパプワが持っているのは好きなのですが、出来るなら他に色々とくり子ちゃんとパプワの可愛いエピソードを散りばめて欲しかったです。高松程の中途半端に存在感のある脇役なら、「ルーザー様の写真について」いくらでも二次創作しますが、サビ、シンタロー、マジックと言った主役級の男達には写真なんか手放して、好きな相手に体当たりして欲しいです。
■リキッドもなんであんなにアルバムにこだわるのだろうなと思います。写真にこだわるのはいいと思いますが、途切れ途切れの回想では想像で埋めろという事か?と苦しくなります。マジックは多忙なので家族の思い出を必死に保とうとしているんだなと思いますが、リキッドは実家には帰れないし、まだ自分の新しい「家族」もいない訳ですから、写真にこだわる姿が、過去にこだわって未来を見ないふうに見えます。
(パプワとチャッピーは「家族」だと思うけど、リキッドって家族なんだろうか。ハレはリキッドに上司としても、青の一族の一人としても絡みきれていないと思うし、あんなに孤独なキャラは滅多にいないと思う。ソージ君はご両親やイサミさんとの具体的で身になる思い出が多いけど。) |
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