先に楽しい事を書きます。
はくたかに乗りたいです。群馬と接している越後湯沢駅から金沢へ走る特急なので乗ろうと思えばいつでも乗れるのですが、つい乗らず仕舞いでした。北陸新幹線についてのニュースも素敵ですが高崎を通過するかもしれないダイヤを思うと、越後湯沢の関東と北陸をつなぐ要衝である事の後退は他人事でなく思います。
鉄を愛する人は、鉄が現役で無くなる事を案じ、あえてローカル線に乗る時がありますが気持ちは分かります。我が上越新幹線も北陸・東北に押されて本数が減るんじゃないかと思います。自分一人が乗ろうと乗るまいと鉄の生命を左右する事はないと思いますが、スイカをたった一回ピッとしただけで「乗車数」にカウントされるわけですから、何と言いますか、「他人が自分を必要をする以上にこの子は自分を求めてくれている」と鉄に対し思う自分は人間に生まれてきてよかったのでしょうか。(999でネジになった男の子達って考え様によっては・・・・ってことはないか)
越後湯沢と言うと康成の雪国で、雪国の主人公は都会の男性ですが、自分はどちらかと言うと雪国の住人です。なのに同じ雪国の中、あえて「はくたか」に会いに行くのは、雪で車が運転しにくかったり、歩道で滑って転んだりする状況を他人事みたいに感じたいからだと思います。
以下も言いたい事は同じなのですが、自分の腹腔にある嚢胞は見ないでおこうとしても存在が避けられないから、自分の腹にあるにも関わらず、他人のものの様に客観的に見てしまう事もあるんじゃないかなと。
以下は偏見です。
■某掲示板に「作者の萌えで駄目になった作品」というのがありまして、言いたい放題のスレながらも取捨選択されているなあと思う意見もあるので、のぞかせて頂いています。
PAPUWAが「作者の萌えで駄目になった」かどうか、私には分かりませんが、項数・巻数に関わらず、もし南国がテレビアニメ風の「楽しいギャグ」でなくなったのなら、遅かれ早かれああなるだろうなと思いました。南国で既に物語の進行に「乱れ」なんてもんじゃないくらいの症状がありました。
症状を起こす病巣がそのままなら、今何が起きても不思議じゃないとしても。過去は過去として止血・縫合されていると思えばこそ安心出来ますが、時間すら癒しも清めもしないなんて酷すぎます。私は医者じゃないので、作品に救急搬送並みの何かが起きていても看られません。
(ああなる→項数は増えていくのに、何の話か分からなくなる。キャラの年齢や立場はおろか、性格も好みも意思も判別不能なまでにドロドロ崩れていく。キーだった「秘石」「一族」の謎等も回収不能のまま、物語は女性キャラ不在、機能不全家族のまま、原作者の性欲、名誉欲その他だけが紙の上を滑っていく。
格好よく言うと、南国&PAPUWAは「過去頑張り過ぎた国鉄の、航空やモータリゼーションの波の陰にある遺産の如く、ひっそりと懐かしさを醸し出す廃線」の様な趣があるかもしれないけど、どうかなあ。自分は南国&PAPUWAは碓氷峠のアプト式の如く、意外と愛される作品だと信じている。物語とか原作者の性癖じゃなくてキャラが。) |
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