■高松の誕生月なので妄想甚だしいです。キン高を落書きしていたら「ぞうさん」を思い出しました。「そうよ かあさんも(鼻が)ながいのよ」「あのね 母さんが好きなのよ」の温かい歌。キン高って母と子なんだなと。(PAPUWAキンちゃんの模範生ぶりに、三国志の諸葛瑾お兄様を思い出した。孝行息子が尽くす相手は若い義母。)
ルーザー様には好きって言えなかっただろうに、キンちゃんに「お前は誰が一番好きなんだ」と聞かれれば「キンタロー様、そして亡くなってはいらっしゃいますがお父様のルーザー様です」と笑顔と鼻血で即答しそうな高松。キンちゃんも、高松と高松の中のルーザー様を慕うのかも。
■OVAジャイアントロボに父が科学者で息子も科学畑というのが二組、フォーグラー博士・エマニエル、草間博士・大作がいるのですが、「父が偉い科学者だったからって息子が盲目に同じ道に走ろうとするのはいかがなものか」という指摘を読んだ事があります。エマニエルも大作も何故父がその仕事に挑んだのか考えない所はいけませんが、彼等を突き動かしていたのが原初的な感情だったなら彼等はああなるしかないのかなとも。
■科学を志す者が無批判でどうすると思いますが、キンちゃんも科学者だった父に盲従するかと言うと、多分しないだろうなと思います。高松から科学の基礎を叩きこまれたのなら、批判的精神は持ち合わせているでしょうし、キンちゃんに「俺はこうしたい」という思いが萌芽すれば高松はその気持ちを大事にするだろうからです。
大好きなママから大事にされた「自分の思い」を曲げないでいれば、おのずと自分の道も見えて来るんじゃないかなと思います。ルーザー様には兄の捨て石という生き方しか許されませんでしたが、キンちゃんにはのびのび生きて欲しいです。反抗期が来て安心しました。
■思い出すままに漱石の「こころ」についてです。
Kは故郷からの援助が断ち切られ、夜学で働きながら体を壊しかけた時に、先生の下宿先へ引っ越します。先生は大好きなKと一緒に住めるし、苦手な奥さん・お嬢さんからの圧迫を一時的に避けられて満足します。
Kとすれば友情に甘えただけで、先生に理由もなく養ってもらう事が嫌だったろうなと思います。同い年の先生に生活上の事で甘えたのは、Kの信念であった「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」に引っかかったでしょう。その後、Kはお嬢さんに好意を持ち、お嬢さんと結婚する事で自分の生活の安定を図る事を考えます。
数年でも養ってくれた先生に対し、Kは自分の結婚の希望を伝えますが先生は「精神的に〜」の言葉をKにぶつけます。先生はKに「お嬢さんより私を愛して」という思いだったでしょうが、Kにすれば友人に甘えて暮らした上に、今度は経済的に女性にすがろうとした自分を責めたでしょう。先生はKは寂しくて自殺したと言いますが、Kのプライドを再三踏みつけたのは先生だったと思います。先生はKが好きなのに。
■偏見です。
何故グッドアフタヌーンで高松と思うのですが、多分、「高松より自分(※原作者)の方がマシな人間」という無意識が原作者をそうさせるのかもと思います。南国でもネタですが、アラシヤマを徹底的に叩いたり、ミヤギの「田舎」ネタも東北愛ではなかっただろう憶測を思うと、愛していない好きでもないキャラを、抵抗できない動物の様にさいなむくらい何でもないのでしょう。(前近代の人の庶民の娯楽みたいな傾向)
(なら何が原作者は好きなのだと言うと、若くて美しい男に囲まれて、金や労力を貢がれ、熱い視線を浴びる事だと思う。南国で一度目の死の時のシンタローみたい。若くなく美形扱いでなく、シンタローに熱を上げてもいない高松への冷遇ぶりが忘れられない。)
■久しぶりに草尾毅さんの声を聞きました。初めて草尾さんの声を聞いたのはラムネスだったと思うので、その頃から20年くらい経ったと思います。スラムダンク、ドラゴンボールZ、ウテナで毎週の様に楽しませて頂いたので、20年と言う月日に生きててよかったと思います。
・・・草尾さんは乙女系ドラマCDの養護教諭役だった。高松みたいだなあと思いつつ、甘みと紳士的なな雰囲気に酔わせて頂いた(高松は甘くも紳士でもない)。どうも聞いた事のある声だと思い、星矢の山羊座のシュラと言うかウテナの西園寺の声に聞こえてきて、再度キャストを確認しドキッとした。
20年の時間を経て草尾さんがこんなナイスミドルを演じる時が来るなんて、時間は裏切らないと思った(自分が聞いていないだけで大人のいい演技を沢山されていると思います。無知ですみません。)
同時に歳月を経て再会したパプワに対し、自分はこういうトキメキを求めていたんだと思いだした。南国&PAPUWAとも読みDVDを見て楽しんだものの、古傷だと思っていた数々の事が、いまだに癒えない「作品(というかあれこれ)」なんだなと悲しくなった。 |
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