madeingermany

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...... 2014年04月05日 の日記 ......
■ 島村   [ NO. 2014040501-1 ]
■明暗を読んでます。津田はまだ清子を愛しているという事実がお延に明かされないまま未完になります。でもお延は吉川夫人、小林、秀子から「津田は別の女性と結婚したかった」と散々匂わされ、不安を感じています。こんなに早く冷戦に突入する新婚夫婦の小説も珍しいですが、もしお延が早々に津田の子供を生んでいても、津田とお延の関係が好転する事は無いと思います。

(劇中で津田とお延の夫婦生活について触れられないのが逆に怖い。切れ切れに品よく書くのが漱石だけど。冒頭に津田が「通院」している場面があるが、まさか暗に「・・・だから冷戦状態なんです」と言っているわけでもないだろうし。津田が行ったのは流産後の保養向けの温泉場でもあるので、津田のお延の夫婦関係の暗示もされているけど、行人ではもっと踏み込んでいた気が。)

漱石の小説は「自分の妻を嬉々として他人に譲る(こころ)」か「事故死(猫)」でやっと平安を得るようなものなので、明暗が完結してもお延に心の平和は来なかった気がします。


■ルーザー様と言えば金髪碧眼のイケメンですが。あの高松がルーザー様と瓜二つのキンちゃんをハンサムと言うので、多分本当に父子でイケメンなのでしょう。(ただの、口も態度も勤務態度も自己評価も周囲にも超ドS父と、ママが大好きな天然っ子なんだが・・・・。)

ルーザー様とキンちゃんの容姿にWW2期のドイツの軍人さんを思い出しました。ドイツ帝国の頃は多民族国家らしい色々な髪色の軍人さんが多かったのですが、上の方針で金髪碧眼で長身の若者が軍に集中したイメージがあります。(そういうイメージがあるけど絵になる貴族階級の年配の軍人さんも多くいたと思う)

英国ならWW2の戦争映画でも上官と女性の部下が恋愛している場面があったりしますが、ドイツが舞台だと緊張感がひたすら続きます。映画だからかもしれませんが、そういうドイツが舞台の映画でも、いかにも当時の軍人さんっぽい金髪碧眼の美形が、家に帰ると普通の夫で普通のお父さんだったりします。振る舞いも流石ドイツ貴族だと、うならせる人が多かったと思います。

何が言いたいのかと言うと。そういう「家に帰れば普通の人」なルーザー様を妄想するなあ・・・と思ったのです。家って言っても、マジックはルーザー様を無意識に厭うし、ハレは次兄に怯え、サビは自分の事しか考えませんが。(・・・高松とキンちゃんという新しい家族のために、死を選んだルーザー様と言う筋書きを考えているけど、肝心の高松にルーザー様の思いが伝わっていない気がしてならない。)



■康成の雪国の駒子と島村についてです。逃避癖があって曖昧にしか生きない島村が、夢の様な存在の駒子に惹かれるのは分かるんですが。駒子はなんで島村を慕う様になったのかなと。しかも康成らしいと言うか、当時普通だったのか、駒子が島村と出会うのは今でいうと女子高生くらいの年齢です。それでいいのかと思う反面、駒子を島村が捨てる気持ちになったのは、単に彼女が年を取ったからだとも思えます。

駒子は島村が金持ちのインテリだから、他の人とは違うと思ったかもしれません。確かに島村の一種周囲から浮いた性格・好みは、欲得が無くてさわやかと言えなくはないですが、正式に芸者になる前に手を付けられてよかったのかなあと、ふと思いました。駒子はゆくゆく座敷に出ないとならない身だと自覚しているので、島村に本気で文句なんて言わなかったでしょうが。

■康成なので、雪国は花柳小説という訳じゃなさそうです。でも当時の花柳界の様子を思い出さないと、読んでもよく分かりません。自分は荷風の小説を好きで読んでいるので大体決まり事は想像つきますが、はっきり「花柳小説です」と言ってもらった方が読みやすいかもしれません。座敷とか年季とか今時言わないと思うので。

もともと駒子は堅気になれる立場の少女ではなかったとしても、出会った時の駒子はアマチュアだったというのが、康成っぽいなと思います。堅気の女性だったら、こうも島村を待ち焦がれる事はなかったでしょう。・・・芸者らしい気概や、ある種の自由さが駒子の軸なのに、康成・島村が求めるのはファンタジックな女性となると、すれ違いが大きいです。

なら葉子は康成・島村の欲求を満たすのかいうと、そうでもないと思います。葉子は駒子のきっちりした性格の描写の合間合間に出て来る女性であって、独立した存在ではありません。

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