万座温泉に行って来ました。万座はスキー場もありまして、冬季は診療所もあります。「高松がバイトに来ていたら面白いなあ」と思った自分は不真面目です。不真面目ついでにキン高妄想を一つ。夏に本にしたいです。
■KILL LOVEと南国終盤の間のキン高。(物慣れないキンちゃんと療養中の高松の話)。キンちゃんと病棟の食堂かどこかで御飯を食べながら、サラダから食べるキンちゃんを見て、「グンマは食事なのに最初にケーキを食べるので随分手が焼けた」と話す高松。
お前の食べる通りに俺も箸を運んでいるだけだと言うキンちゃん(※漱石と寺田寅彦から・・すみません)。髪型が亡父と同じなのは高松の亡父への愛故だし、自分を可愛がるのは嬰児交換の暴露によって気まずくなったグンマの代わりなのではと思うキンちゃん。(見舞いに来たのに労わられているのは自分の方と言うムズムズもありそう。自分の体が本調子でないのにキンちゃんの世話に取り掛かるのが高松だし。)
■高松なのでキンちゃんの不安を余所に、彼に彼の「家族」であるルーザー様、マジック、ハレ、サビ、グンマ、シンタロー、コタの話を嬉々としてしまう。「お前と今話しているのは俺だ」という思いを高松に募らせるキンちゃん。
キンちゃんのイライラは「シンタローとの軋轢」だと読んでいた高松は、自分の療養を兼ねてキンちゃんを一時本部からさる温泉地に移す事を提案し、結果、温泉場で一悶着のキン高。(療養中の高松を案じて同行を志願したのに、全力で自分を案じている高松にキンちゃんが焦れそう。)
高松は偽りじゃないから恥ずかしく、大事だから滅多に言わないだけで、キンちゃんのキンちゃんらしさを認めた上で彼が好きなのだろうと思います。孤独の辛さを知りぬいた高松だから、キンちゃんの「お前は他の奴なんか見るな」という若さが、可愛くてならないだろうなと思います。
(元来性格がずるくて、大人故の「なあなあさ」に長じた高松にとって、ルーザー様やキンちゃんの様な、若い金持ち故かもしれないけど、生一本さは文字通り鼻血が出ると思う。)
■漱石の行人を読んでいます。学識者達への「評価」はこの頃からこうだったのかと思うと、未来永劫こんな感じかもしれません。フランクな学者もいるかもしれませんが、超知的エリート・帝大教授で優秀過ぎる一郎が「真実の愛」とか「立場や性に依らない男女のあり方」などを熱烈に求めても、ある意味本人が辛いかもしれません。少女漫画の様だから。明暗の小林が糾弾している人間に一郎も含まれるだろうから、一郎の悩みに救いはないのかも。
行人、こころ雑感です
■こころの静が「処女で妻」という妙な立場らしいのだが、私と結ばれた後、静は私に先生との暮らしについて何か言ったのだろうか。私が先生の秘密を生涯妻になった静に語らなかったなら、「先生は静を面倒なだけの存在として見ていた所があるが、私は静と夫婦として円満に暮らしている」という仮定は成立しないかもしれない。
静は私に先生との夫婦生活について何も語らなかったとしても、「夫婦である喜び」を新しい夫の私に示してしまったなら、先生贔屓の私も「結婚した女性は堕落していて信用できない」という説に傾くんだろうか。そこまで筆が伸びないから、こころは傑作たるのだと思う。
■漱石は「夫婦である事」に恨みでもあるのか。一郎夫妻の悩みの深い事ったら。行人の語り手が二郎かHさんでなかったら、明暗よりも暗澹としているだろう。明暗の異例的な長さは、「行き詰っている夫婦」が直接の主人公だからでは。
■夫の一郎がお貞さんに言わば「鼻の下を伸ばしている」姿について、直がどう思っていたのか想像すると怖い。父が下女と関係した挙句捨てた某氏の話を笑ったのを一郎が怒ったのは、お貞さんと自分の事が念頭にあったから。「某氏と下女は結婚しましたか」と言う問いは一郎には喫緊のテーマだったのでは。
一郎の立場なら下女のお貞さんと関係してもまあ自然だけど、体面等の理由以上に、お貞さんが「貧しくて清らかな処女」である事に惹かれる一郎には、お貞さんと関係する事が考えられない。でも「本当の愛」を眼前にしてみたい一郎は、直と二郎の関係を進めさせようとする。
嫉妬心や優越感故ではなく、一郎が指示した直と二郎の和歌山行き」は真剣な物だったのだろう。でも二郎は一郎の思う、見合い婚なんてものに依らない「真実の男女の愛」に理解がないし、直からはお貞さんを愛する一郎の発案に「自分に姦通の罪を着せて、自分はやむを得ないという顔でお貞さんを新しい妻に据える気か」という皮肉も感じないでない。
直は二郎と打ち解けていたし、二郎も直に同情的だったので、一郎の「指示」は外れでないのが何とも。直は二郎に「夫の弟」だから親しむのであり、二郎も「兄の妻」だから親しむという面もあるので、いくら一郎が感情の上で仲間外れでも、彼のひがみ過ぎかなとも。 |
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