下記の漱石雑感で「色々から切り離されたただの自分でありたい」という願望について書きましたが。南国&PAPUWAというか多くの版権物は、原作者やスタッフの思考・嗜好・思惑から、ある程度までは分離されて読み手に愛し方がゆだねられていると思います。もちろんいい方の影響と言うか、「南国はアニメスタッフから愛されているなあ」とかの感慨は自分もあります。アニメPAPUWAもスタッフさん、役者さんの手堅さが嬉しいです。
■こんなキン高漫画が描きたい。 ■高松への亡父への忠誠、グンマへの謝罪の思い、仕事熱心な部分を大体飲み込んだ南国後のキンちゃん。「それで自分は高松の何なのだ」という思いを感じないでもない。高松は自分に嬉々として仕えているけれど。 ■高松にとってキンちゃんは「希望」とか「未来」とか、口に出すのが恥ずかしいくらい輝かしい存在かもしれない。目に入れても痛くない可愛い子から、改まって「俺はお前の何だ」と聞かれると困る。「私の恩人の遺児」が正答だけど、ウェットな部分を既にキンちゃんが感じているので完全解ではない。
■体が回復してきたので、転地を兼ねて山あいの温泉地に行く高松と、高松の看護を志願するキンちゃん。看護の心得を身に着けた方が、今後総帥補佐も務めやすいだろうと、キンちゃんを連れて行く高松。昔シンタローがスノボしたくてマジックに買ってもらったスキー場・温泉・ホテル等があるので、診療医の仕事も兼ねてお出かけキン高。(転地先でも仕事&研究してそうなキン高)
(先日から同じ事ばかり書いている。描いてみるけど背景が不安だ。群馬在住なのでスキー・温泉・ホテルの資料はごっそりあるけど。・・・高山植物の写真とか見ていると、パラレルで存命ルザ高&キンタロー坊ちゃまがハイキングに来ないかなと妄想が止まない。)
■漱石の行人を読んでいます。文を丸暗記している気がするので、自分としての新しい考証を進めながら読んでいるつもりです。直と二郎を発展させようともくろむ困った一郎ですが、その一郎はお貞さんの「異性を知らない処女性」に夢中なわけで、直の一郎への冷やかさは理由があると思います。
(処女性にときめきながら、自分が彼女の最初の異性になる事は本気で拒みそうな一郎の扱いがよく分からない。直の最初の異性は夫である自分だけど、「直を悪くした」とだけ一郎は思っている。)
■漱石は道草で「ただの飯を食う事が許されなかった」と言っています。自我が出来てくる頃の義父母の漱石への態度が圧迫感のあるものだったからそうで、「ただの自分でいたい」という願望を猫の頃から明暗まで漱石は漂わせています。明暗の途中で他界してしまったので、漱石の「ただの自分でありたい」という願いが遂げられたのかは分かりません。
少女漫画なら「そのままの君が好き」という展開はあると思います。自分は恋愛について語ると、自分が向上心も緊張感も協調性も他愛の心にも欠けている事が丸わかりで恥ずかしいのでよく言えません。
原稿を描きながら、漱石が生涯求めた「ありのままの自分を愛してほしい」願いを、いい加減に乱発する自分を顧みようと思いました。・・・明暗の津田とお延の長々しい夫婦冷戦状態は、いつまで続くんでしょうか。行人の直と一郎も冷戦中ですが、語り手は二郎とHさんなので辛うじてくどくはなっていません。「24時間の事を全部書けば読むのにも24時間かかる」と猫で戒めていたのに、漱石はどうしたんでしょう。 |
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