■5時半起きで1日仕事でした。疲れましたが、育児中の同世代の知人達の疲れに比べたら何でもない事なんだろうなと思いました。
■サビについて。一応原作基準で、「この人に憧れる、ないし好かれたい」くらいの意味合いで。(アニメ南国の勢いと明るさで突っ走った流れとは別物)
■サビ←ジャン(シンタロー)←マジック←ルーザー様←高松(※ルザ高はありだと思う)←(高松と片思いじゃないけどキンちゃん) ■サビ←コタ←シンタロー←アラシヤマ ■サビ←コタ←シンタロー←東北ミヤギ←忍者トットリ
原則物語はサビ無双なのだと思いますし、確かに南国中盤に出て来た髪の青いサビは、南国の膠着状態を打破出来る男して描かれていた時期があります。実際のサビはガンマ団に依らない自由な視点で南国の諸問題の膠着を打破するのではなくて、「そんなどうでもいいコトよりみんな私だけに尽くせ」という男でしたが。
(実際サビにはコタの幽閉も、赤青の対立も、ガンマ団の仕事も、甥達の悩みも、次兄の自死・友人の塗炭もどうでもいいのだと思う。自分さえ存分に注目され、自分が望むように愛されているなら。PAPUWAでシンタローに何億規模のお小遣いを「化粧代」としてもらって機嫌よく過ごしていそう。
ここまで欲望で磨き込んだサビを捨てて、チャン5も完結させないし、PAPUWAでは完全に別キャラに傾いている原作者のしたい事がよく分からない。「50代に近いが肉親や恋人、友人に無限の労力を捧げられて美と気位の高さを維持している」キャラに、原作者が自己投影出来ない理由でもあったのか。)
■しばらく読んでいませんが、漱石の道草を思い出していました。こころの後が道草、道草の後が明暗だとすると、漱石の「考え」の動きが何となく読める気がします。自分は日文の門外漢なのでそんな気がするだけですが。
漱石は道草で自分の娘の出生時の事を書いています。鏡子さんと思しき奥さんの妊娠時の事、赤ちゃんが生まれた時の事、昔の事なので自宅出産になります。坊ちゃん、猫、草枕、虞美人草、三四郎〜こころまで書き続けた漱石の辿り着いた所はなんだったのでしょうか。
道草の内容が余りに生活の細部にわたるので、もし事実に近かったら鏡子さんは嫌だったでしょうし、漱石を神格化してやまない小宮達も、道草を回避すると思います。それでも道草は書かれました。私小説、エッセーという軽い読み物ではありません。
今までの坊ちゃんや甲野、三四郎、代助、宗助、須永、一郎、先生・私・Kが、漱石の苦しみの代弁者「机上」のものと言えるから、一気に自分の傷に刃物を差し込むように、健三を書いたのかなと思います。健三が漱石そのものだとは言いませんが、漱石がこころの先生の様な机上の暮らしの描写に飽き足らなくなったのかなと思いました。
小宮達は悩む漱石の姿に心を寄せたかもしれませんが、漱石自身は悩んで苦しいわけで。こころ以降、人間関係に理想や憧れを含めないで、道草、明暗に進んだのかなと思います。明暗の人間関係の冷たさは、漱石の偽りない所の人間観だったのでは。 |
|