■漱石の三四郎の美禰子を思い出していました。結構な財産のある、美貌と教養を兼ねた独身女性として美禰子は三四郎の前に現れます。小説の最後、美禰子は別の男性と結婚します。野々宮でも三四郎でもない男と結ばれた事を、美禰子は「罪」と感じていた様ですが何が罪なのでしょう。
美禰子が三四郎にお金を貸した事、野々宮の送ったリボンを髪につけた事を指しているのでしょうか。男達の「好意」を全身に浴びながら身を翻したように違う男の下へ行った事がいけないのでしょうか。それから、明暗、行人、こころも「夫になるべきでない男と結婚した」とされる女性が出てきますが、美禰子がその嚆矢らしいです。
いくら当時の事とはいえ、彼岸過迄の須永の様に「結婚したら女性は悪くなる」という説を振りかざして、許嫁で相愛の女性を苦しめる愚かさが横行しても困ります。三四郎も与次郎も野々宮も広田も美禰子の兄も、皆、美禰子を恐れはばかりつつ、美禰子を小馬鹿にしていたと思います。「畢竟女は慰撫しやすいものだ」という津田の気持ちが作品群の根底にある気がするので、美禰子を三四郎達は我知らず遠巻きにしていたのでしょう。
美禰子も夫を求める時期を向かえ、周囲を冷静に眺めた時、三四郎や野々宮の様な受け身で仰山な反応ばかりしている男達に、自分の長い人生を賭ける気にはならなかったでしょう。三四郎や野々宮と親しく振る舞って彼等をその気にさせたのが悪いと言うのなら、美禰子の「夫」たり得なかった彼等の方が悪いです。
■南国のグンマは高松の事が嫌いじゃなかったと思います。少なくとも彼の側にいてもいいと思えるくらいは、グンマの心は高松に寄っていたと思います。何だかんだ言ってグンマは高松より身分が上なので、既に24歳になったグンマが高松に従ったり、守ってもらう必要はなかったと思います。
高松もとうに、「何も分からないグンマをダシにして自分はルーザー様の息子の近くにいる」なんていう事が、グンマの成人によって続けられなくなったと気づいていたと思います。グンマが「高松は一人ぼっちだから僕が側にいてあげる」と思ったとしたら高グンは成立したと思います。そういう「優しさ」はありだと思います。
ただ高松が「憎いマジックの息子に孤独な自分が憐れまれている」と自覚した時、どうなるのかなと思います。キン高でも「死んだ父さんの代わりに俺がお前の側にいる」という部分はあると思いますが。グンマの「優しい」気持ちを知って高松が、「ですがねえ人を好きになって、その人と一緒にいたいとか思って、どれぐらいの人が幸せな気持ちでいられるんですかねえ」と冷え冷えした顔にならないといいんですが。
「ルーザー様はいつもお一人だから、私がお支えしたい」と「優しさ」を発揮した若き日の高松の、頼んでもいないのに世話をされて、イラッとしたルーザー様ににらまれた姿が浮かびました。
■PAPUWAについて。主人公ではないと思うけど、台風の目の如く特別視されるキャラがサビからリキッドになった事を説明してくれる場面があったなら違ったなと思います。
南国、PAPUWA、カミヨミ他の作品で、「なんか主人公のしている事が分からない」と思った時。「主人公は台風の目であって。物語は台風の如くいつ消滅するのか別物になるのか分からない。言えるのは、風がグルグル回るのに巻き込まれたルーザー様や高松、キンちゃんは頭に瓦が当たる以上の怪我をしかねないけど、台風の目だけ原作者の主観的な温情のもと無事」と言う事でしょうか。パプワ君の様に色々な謎を秘めたまま、リキッドを持ち上げる部品に落ちて行った例もありますが。
南国のサビ崇拝はハレのブラコンぶりがよかったのでいいんですが、PAPUWAのリキッドはリキッド自体が説明しにくいです。南国の続編としてのリキッドではなくて、独立したお話でのリキッドなら違う受け止め方も出来たと思います。「サビなら仕方ない」と無理矢理納得した南国を読み終わった後、今度はリキッドが原作者の主観で描かれているPAPUWAを読むと逆に冷静になります。
南国にせよPAPUWAにせよ、高松は台風が起こす風で怪我する運の無い男なので、高松に関しては不問です。高松は悪くないとは言いませんが、悪くなるならもっと悪くなった方がよかったのにとだけ思います。 |
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