漱石の坊ちゃんを読んで。文体がカラッとしていて、つい内容にまで理解が及ばないのがいつもなのですが、「全ては坊ちゃんの被害妄想だったのでは」という説をどこかで読んで、妙に納得しました。清くらい坊ちゃんの身に添う人は稀有過ぎるので、坊ちゃんが父母、兄、通った物理学校の関係者、松山の人達と折り合っていければよかったのにと思います。
劇中で坊ちゃんに危害を加える様な人は一人もいません。父母は兄ばかり贔屓にしていたと言いますが、当時の長男ならそういうものかもしれません。行人の一郎も父母から祭り上げられますが、二郎は陰で母に甘えていたので、行人の二郎の場合は坊ちゃん程の被害者意識は無いようです。
赤シャツと山嵐の悶着に、新任の坊ちゃんが巻き込まれたという読み方も出来ます。ですが山嵐は同じ数学教師として坊ちゃんを世話し、赤シャツは「新しい数学教師が来たから」山嵐を冷遇し、坊ちゃんを後釜に据えようとした程度の事です。坊ちゃんは山嵐の世話を受けつつ、赤シャツの画策の駒になっても、坊ちゃん自身に影響はありません。むしろ自若としているのが望ましかったのです。若くて昨日今日松山に来た坊ちゃんに、誰も特別なものは望んでいません。
(新任・新米教師が快刀乱麻という作品ではない。)
草枕の画工が「他人は人の屁の数ばかり数える」と言っています。人間関係が嫌になって画材を背負って旅に出た画工なので、旅立つだけの「嫌な事」はあったのかもしれません。ですが坊ちゃんも画工も、他人に心を開いていないんだなと思いました。
(心を開かない割に、道草の様な赤裸々過ぎる小説を書いた漱石。猫の苦沙味先生もやたら悩みまくり、四方八方に怒りまくる所が坊ちゃんや画工とそっくり。)
■漫画を読んで、原作者の名前までしっかり記憶する方の人間が少ないのではとふと思いました。アニメや映画でも、「あの作品面白かった」とは記憶に残るかもしれないけれど、「流石何々監督」とまで記憶に残すのは難しそうです。「好きな女優さん、俳優さん」については視覚で記憶するので鮮明だと思いますが。
なので。「南国少年パプワくんってアニメ面白かったね。チャッピーが可愛かったし、おバカなお兄さん達が沢山出て来て毎週笑いこけた。」という記憶は、原作者の名前を思い出せなくなっても記憶しておくべき、大事なものだと思います。
■「おバカなお兄さん(※いい意味でほぼ顔出しだけだった球児、猿王、ドン太達をイメージ)」は、「時々実子を、まるで楊貴妃を愛する玄宗の様に」扱うマジックに生殺与奪を握られ、その実子(シンタロー)は大学生くらいの年齢でも、ニートの叔父に膝抱っこされて、お尻を叩かれるという、「ギャグ」でなければ相当怖い世界なんですが。
サビが周囲に高慢なのは育ちのせいもあると思いますが、ニートなのでそういう事でしか自分の立場が表せないからかもしれません。ルーザー様の溺愛が生きなかったなあと思いますが、ルーザー様自身は父や兄に言われたわけでなく、自分から進んで仕事人になったので、サビに勤勉とか教える必要を感じなかったのかも。
(ちなみに「お尻に注射」するのは筋肉に注射する場合で、お尻は筋肉が発達しているので、注射しても比較的痛くないからと聞きます。・・・マジックが幼少期のハレのお尻を叩いて躾ける、サビは叩かれたくないけど、叩くのは嫌いじゃないからシンタローを叩く、となれば。グンマは叩く真似だけで泣き出すので、サビの「叩く楽しみ」が少なそう。「暴力は頭の悪い証拠です」と高松が飛んで来てややこしくなるし。
・・・ルーザー様も躾けのために年下の「お尻を叩く」のかと思ったが、「痛くないからお尻」なのであって、「叩いても痛くないなら仕様がない」と思いそうなルーザー様は、「もっと痛い所」を叩きそうです。でも医者の免許は持っていそうなので、頭とか叩かないでしょうし。眼魔砲一回で大人の集団が他界するルーザー様なので、躾けたいような大事な相手には、意外と手を上げないかもしれません。) |
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