今月三回目の高グン雑感です。康成の小説に「山の音」と言うのがあって読みましたが、淡々とある家族を描写しているのに救われようが全くなかったです。そういう場合は常として、颯爽とヒロインや女性の登場人物が何か行動を起こすのですが、南国&PAPUWAはヒロイン不在に近いので、望めません(いや、ウマ子嬢・コージ・アラシヤマに癒される。ヒロインはウマ子ちゃんだ)
■高松はグンマを愛せただろうか。 ■高松は生まれながらにして、自身が望まなくとも、ルーザー様と同じ血と体を持つグンマに嫉妬しなかっただろうか。「ルーザーの息子」と嘘でも呼ばれるグンマに嫉妬しなかっただろうか。(グンマはルーザー様の事を「よく知らない」と言うので、南国高松のグンマへの基本方針が想像出来る。キンちゃんには感情を込めて思い出を沢山話すだろうに。)
■高松は自分が世話をする事になったグンマに、本当に害意がなかったのか。「憎い男の息子の未来、ガンマ団の将来を自分が握っている快感」はなかったか。(答:「忙し過ぎてそんな事考える暇ありません」) ■高松は「シンタロー」の幸福のみ願っていて、グンマの幸福には関心が薄かったのではないだろうか。キンちゃんが生まれたばかりなのに、皆に仲間外れにされて怒って泣いていたら、迷いも芝居気も恥も外聞もなく駆けつけて来たのに。グンマの涙や怒り、長過ぎる我慢は放置に近い。戸惑うグンマを置いて、泣いているキンちゃんの所へ行く高松、「グンマには肉親のサビがいるから」というのは高松の言い訳なのでは。
■高松は南国後グンマをマジックに「返し」、自分は従来の願いどおり「ルーザー様の息子」と暮らす事を望んだのではないだろうか。そんな手前勝手な願い押し通して、折角切り開けそうなキンちゃんの未来を見す見す逃す様な事高松はしないけど。 ■高松×グンマと言ってみたけど、その行為は一種の示威なのではないだろうか。「青の一族」を愛すれども「一族」にはなれない高松のはけ口と言うか、それは愛ではないのでは。グンマは孤独に追い詰められた結果、高松を失う怖さを感じるようになったけど、南国後「高松がいなくてもどうにでもなる」と思っただろうか。ぶっちゃけ、グンマが生来握る権力と高松の存在価値なんて、比べようもないくらいグンマの方が強大。
■青の一族の一人として上から目線で、「高松なんてどうとでもなったんだな」とグンマが南国後思ったらいいと思う。愛とか恋とか優しさとか、「青の一族とその他の生物」の間にはいらないし。 ■が、高松にとってグンマに「見下げられる」くらい、何でもないんだろうなと思う。もともと「グンマが他人である高松を慕う」という事自体異変だったから。ルーザーが結局は自分を置いて死んでしまった様に、グンマも高松と楽しく暮らした時期があったからって、グンマは高松の「家族」たり得ないわけで。
「見下げて下さい」くらい言いそうな、谷崎の小説に出て来てもおかしくない男・高松。(2、3人そういう男を思い出せた。とても嬉しそうに踏まれたり軽蔑されたりしてた。)
・・・高グンについて雑感していましたが、高松は左が向かない男だなと思いました。ルーザー様やキンちゃんから、女房役として求められている方が彼は幸せそうです。生きていたルーザー様と、キンタロー坊ちゃまと、何故か父子の世話を好んでする高松妄想をよくします。 |
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