■お知らせ 去年から同人誌即売会会場において自スペースでチラシ配布していましたイベント「ノリモノの学校 弐」が中止になりました。もし拙宅が配布したチラシを見て、行く予定だった方があれば申し訳ありません。
(※イベントサイトからの抜粋) 6月8日の開催を予定し、御案内させて頂いておりました『ノリモノの学校 弐』でございますが、サークル参加募集期限となる5月6日時点での前回を大きく下回る参加サークル数のお申込み状況などを勘案致しました結果、開催したとしても皆様の御期待にお応え出来るだけの内容を実現出来ないとの判断に至り、誠に遺憾ながら今回の開催を中止させて頂く事になりました。『ノリモノの学校 弐』を、心待ちにされていた皆様には誠に申し訳なく、参加を予定されていたサークルの皆様には、心よりお詫び申し上げます。
以下は普段の日誌です。
■最近、自分が「こうだ」と思い込んでいた事が覆る事が続きます。先日からの話で言うと、高グンは、昔自分が思っていたような高グンでないかもしれないとか。
(・・・関係ないがアニメのイバラキが東男っぽくて好きだ。ルーザー様が生きていたら、彼もキンちゃんや高松と働いていたんだろうか。納豆について一家言ありそうな子。高松のラボに納豆菌を運んでしまい、もめてそう。)
■根拠の薄い「こうだ」という思い込みで幸せから遠ざかっていたのなら、思い込みが覆るのは良い事です。でもその思い込みが無価値だったのかと思うと辛いです。辛がる話じゃないし、理由のない束縛から解放されるから素晴らしいでしょう。なのに、昔からの思い込みや束縛に愛情すら抱いていた事を知ると、自分は自ら幸せから遠ざかる人間なのかもと思います。
自分のために弁明するならば。「新しい価値観、新しい幸せとやらも時間がたてば刷新されかねない」とすねているのだと思います。古いものを愛するというふうでもなく。
グンマ一途で通してきた高松が、グンマを(ある意味憎んでいる)サビに押し付けてまでキンちゃんの側へ出向き、隠し通してきた母たる顔を見せましたが。高松は余程キンちゃんが愛しいんだろうなと思います。皮肉とか逃避癖とか復讐とか、つまらない傾向をぶち壊すくらいのエネルギーをキンちゃんと出会ってからの高松から感じました。
■鉄として有名な宮脇氏、内田百間先生の文章を読んでいると、頭のいい人なのだなと思います。頭がいいって皮肉で言われる時もありますが、読みやすいエッセイに触れると本当にそう思う時があります。
JR東日本が出している雑誌、トランヴェールにも鉄についてのエッセイがあります。こちらも個人の述懐に徹している内容が好きです。好きな物について語っているのに押し付けがましくないのがすごいなと。
■鉄系の作品で読みにくいなと感じる時は、自分の知らない情報が山積みになっている時です。「教えてやる」という空気を感じてしまった時です。どうしても鉄という男性中心の世界に女性の姿が出て来ると、「無知な女性に賢い男性が有難く教示してやる」という方向になりがちなのかもしれません。
鉄だけじゃないんですが、「お前には分かるまい」という鏡子さんに対する漱石の様な態度はいささか対象への興味も薄れるかもしれません。(鏡子さんと漱石のために言うと。漱石は横柄な時もあったそうだけど、鏡子さんが分かるまでじっくり教えてくれたそうです。) |
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