madeingermany

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...... 2014年05月20日 の日記 ......
■ 同じ   [ NO. 2014052001-1 ]
■高松妄想です。原稿で「キンちゃんをマジックに自慢する高松」を描いたら胸のつかえが取れました。高松はキンちゃんが自慢でならないと思います。キンちゃんが(突っ込む所はあるけど)何事にも熱心で出来もいいという事もありますが、高松にはキンちゃんが「私の(教え)子」なんでしょう。広い意味ではミヤギ達も高松の教え子ですが。教師としても、ルザ高、キン高としても、高松はキンちゃんが可愛くてならないだろうなと思います。


■若かった高松の激しい恋は未熟だった彼を奮い立たせるには十分だったと思いますが、煮え切らないまま強引に幕が下ろされた事で、本来高松と接点がないはずだったグンマに関わる別の波乱を生みました。

宮脇氏の父君は「金がないから士官学校に入った」そうです。時代と国によって差異はあると思いますが、士官学校ってそういう面もあるかもしれません。金持ちのハレは入学しないで幹部になり、入学したサビは卒業後無職ですが誰よりも上から目線です。


■高松は若かった頃でもそんな事承知していたでしょう。勉強してどんなに仕事をこなせるようになっても、ガンマ団で言えば、無学歴&無職のハレ・サビの方が上なんです。高松には「職にあぶれない」くらいが望みうる最高の幸せなのかも。

出来る男だけに高松は悔しかったでしょう。グンマが生来的にエスカレーターでガンマ団総帥に挙げられるのを阻止して、少しは気が済んだでしょうか。そんな野蛮な復讐はさておき、高松の報われなさを補うものがルーザー様への恋だったのだろうと思います。賢く強く端正なルーザー様を仰ぎ見るだけで満たされたとか。


■対等の人間同士の恋愛ならコミュニケーションしながら発展する事もあり、幕引きになる事もあるでしょうが、高松の場合、彼のぬぐいきれない悔しさと劣等感とのバランスも兼ねているので、恋が終われば悲惨です。そんな残虐的な恋の終わりではなく、ルーザー様の殉職による客観的な終わりだったのは、高松へのルーザー様の最後の優しさだったのか。

幸いキンちゃんが高松の手元に残ったのが、高松の内面を壊さないキーなのかも。万が一高松のルーザー様への恋が大発展して、「幼く辛い恋や愚かしい自虐なんて、どこかへ行ってしまうくらいルーザー様とキンちゃんと幸せに暮らす」高松を想像します。




■宮脇俊三氏の本を読んでいます。5冊くらい続けて読んでいるので知っている人の様になって来ました。先日の日誌で書いた「オタクは二次元を身近に感じすぎる」という自分が受けた嘲笑に近い物を、今更ながら「だからどうした」と思いました。

宮脇氏の文章の中に、荷風、谷崎、内田先生の名前を見つけた時身震いしました。ものすごく大きな意味で「竹淵でも一人じゃない」と思いました。周囲の人に「谷崎源氏をこれから読もうと思う」と言いえば、ポカンとされるのは必至ですが宮脇氏が「自分の書棚に谷崎源氏があった」、そして「市ヶ谷の内田先生のお宅に訪問しようとした」と言えば、落涙の思いです。

宮脇氏の文章から感じた、単なる飄々とした感じと並んで存在する何かの正体が見えた気がしました。字面だけで、分かり合うには他に何もいらないと思いました。宮脇氏は史記も好まれたそうで、そうだろうなあと思いました。

・・・ある方と先日話しながら、「拮抗」という言葉が出てきました。自分は「二者が同等の勢力をもって力が釣り合う事」とすぐにイメージできました。でも例えば自分の母や妹に、「何々が拮抗してね」と言えばポカンとされるでしょう。キッコーって聞くと自分は食品の会社のキッコーマンも同時に思い出しますが。あちらは「亀甲」からの会社名だそうです。

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