青の一族って少女漫画だなと思いました。抱える事情はは少女漫画のものではありませんが、サビの「末っ子として3人の兄から溺愛される」は少年誌ではないと思います。少女漫画でも、お嬢様が恋を通して自立する過程とかありそうな気がしますが、肝心のジャンがサビの下僕なのでサビには怖いものがありません。
南国中盤までなら、「自分の手で恋人を殺してしまった後悔」に苦しむサビの姿はシリアスでよかったのに。ルーザー様とコタに一族の重みをなすりつけて終わりなんてないです。亜美ちゃんの「飽き性」が、短編漫画の思い切りの良さとして反映されていた時期もあったなと思いますが。長編には向かない持ち味なのでは。
少女漫画らしくていいなと思うのは。
高松が女性である事を貫いている点です。女性である以上、亜美ちゃんから扱いが酷いのはいつもの事として。ルザ高時代も、シンタローの中のキンちゃんを見守っていた時も、目覚めたキンちゃんに出会えた時も、高松は女性だったなと思います。
以下で似た様な事書いてますが、がっついた関係でなくとも、高松は穏やかに情を交わす事が出来る人かなと思っています。だからキンちゃんは一時的な気持ちの波を高松にぶつけても、やっぱり高松に側にいて欲しいのかなと思います。
雑感です。
■鉄道紀行作家の宮脇氏が作中で、「見ていて一番色気を感じるのは喪服の女性」と言っていたのを思い出しました。源氏で出家した女三宮や、藤壺がしつこく源氏に求愛されているのも同じ理由でしょうか。長かった髪の毛を切るから、少女の様で愛らしいとか源氏が執念深く言っていた気がします。
(関係ないですが、源氏の長所として「一度付き合った女性は最後まで大事にする」と言うのがあるそうです。はかない立場の空蝉、頼れる身内がいない花散里姉妹、末摘花などについては頷かざるを得ない長所だけど、朱雀帝と円満な朧月夜尚侍や、出家した藤壺にはいい迷惑なのでは。)
■宮脇氏が言いたかったのは、奥ゆかしい色気の事だったのでしょう。電車旅行も晴天の日より、少し鬱陶しいくらいの天気の方が雰囲気がいい、楽しめると言う方でしたし。自分も電車さえ走ってくれれば、旅行は晴天でなくともいいなと思います。(宮脇氏は「日本の鉄道は正確」とはよくおっしゃっていたけど、天候による不通や災害による運休については触れていなかったような。)
■先日から書いていた、「清純派少女漫画雑誌に掲載されていた自作品の18禁同人誌を自ら描き、幼年読者に高額で売りつけようとしてた女性漫画家」や亜美ちゃんに、その心を知ってもらう事は出来るでしょうか。兼好法師の様な「花は盛りに、月は隅なきをのみ」という心境が至上だとは申しませんが。
前述の少女漫画家なら、「健康美あふれる元気な女の子」の魅力、亜美ちゃんなら「働く男のカッコよさ」とか漫画家らしく描いてくれればよかったのにと思います。
前述の少女漫画家も掲載時から、ヒロインのセミヌード描くのが大好きだったり、セミヌードの少女に興奮する同級生男子とかいそいそと描いていたので、もう膏肓に入っていそうです。
亜美ちゃんも、「家族が嫌い」「仕事嫌い」「女性嫌い」「子供嫌い」の面は上手に隠して、男性キャラと可愛い動物を描く事に集中してくれていたら、こんな事にはならなかったでしょう。男性キャラを男性として動かせないのに、それを認めないで暴走するし、女性不在のまま「一族」とか言い出す軽率さが通常運行だった珍妙さ。 |
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