■谷崎訳で宇治十帖を読んでいます。匂宮が浮舟の行方を知り、都に彼女を迎える普請をしています。薫も同様で普請中です。後に出家し、自分になびかなくなった浮舟に「他に男がいるんだ」と薫が邪推する場面で源氏は幕を閉じます。
誰かから始終思いを寄せられながらも、のぼせる事もなく沈着に振る舞うのが浮舟なので、今まで薫は彼女の何を見ていたんだと思います。そして浮舟が恋らしい恋をするのは薫ではなく匂宮でした。
宇治以前の源氏ならそこまで書いただろうかと思うくらい、浮舟と匂宮の逢瀬は丁寧に書かれます。薫については客観的に長所を述べるだけなのに、匂宮には感情多めに地の文も進みます。仕事は真面目にしないし浪費家、妻が家にいるのに、若くて綺麗な女房がいれば遠慮しないしで、短所の多い彼でも、書き手は匂宮を気に入っているようです。
■先日テレビ放映されたQは見ていません。8時頃仕事から帰って来て、食事して風呂に入って、翌日の昼まで寝ていました。Qは劇場で見て、DVDレンタルして再度見たのでいいかなと思ったのですが、テレビ向けに編集されたとしたらどこが編集されたのか知りたくもあります。昔のテレビシリーズのエヴァも、DVDだと追加映像があるので、油断できません。
冬月先生を見ていたら、昔日の焦燥を忘れるかのようです。何に焦燥していたのかすらもうよく分かりませんが、先生の顔を見ていたら落ち着きました。もし三次元に先生の様な人がいたら、自分は気がつけないかもしれません。こちらの勝手な希望や夢を壊さない程度に、そっと側にいてくれるのが二次元なのかもしれません。
■二次元と三次元について考えていました。昔中学生の頃、悪い意味で真面目に生きるしかなかった自分が、級友に「掃除真面目にしようよ」と言ったら、その子から「あなたあたしに掃除をしないさと言うのなら。男の子や、クラス内の派手な女の子達にも言ってよ」と言われました。
全くその通りで、もし確固たる自分の意見があって、かつ実現させたいものならば、恐れず闘うべきでした。自分にはそこまでの意欲が無いから、自分の意見を聞いてくれそうな人にだけ、「掃除してよ」と言いました。
■今も全く変わらず、平面上から出れこれないミサトに独り決めして何を言うかと、自分の愚かさを噛みしめました。
ミサトは「女が生きにくい時代」と劇場版で言っていましたが、アスカの様な、「母親になりたくない」レベルまでの女性嫌悪ではないなと思います。
それがミサトの生き方であって、シンジの優柔不断に怒りを露わにするアスカに対し、「それがシンちゃんの生き方」と、露骨かつ無意識にシンジ贔屓をぶちかますのがミサトなんだなと。誰かが優柔不断なのも、誰かがガサツ・ズボラなのも、アスカにはそういう現象そものが悪なのですが。
上司として平等にパイロットを評価、待遇すべきだったミサトは、アスカのプロフィールやうかがい知れる性格のみ把握し、彼女の内面を知り得ません。「アタシもアンタくらい辛い少女だったわ」とか思っているのでしょうか。 |
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