■ルザ高について考えていました。高松は恋愛という場面でも自分を出さない男だと思うので、ルーザー様は手こずったと思います。ルーザー様は怒りんぼらしいですが、ルーザー様が高松の頑固さをある程度は我慢出来たのなら、彼の決定的な短所ではないと思います。
ルザ高の緊張感は、まさしく男女のそれかもしれません。またエヴァですみませんが、加持×ミサトの馴れ合いは父娘の様で、ゲンドウ×ナオコ、ゲンドウ×リツコの「後がない」感じは男女だなと思います。
高松も「とんでもない人を好きになってしまった」自覚はあったと思います。同じくらいルーザー様も「なんて僕を困らせる子だ」と思ったでしょうが。
■キン高はどうかと言うと。キンちゃんは高松がいないと生きていけません。恋愛的に不満というより、生死に関わる感じです。キンちゃんは例えばグンマより承認欲求の強い子なのでしょう。グンマは「高松に褒められたい」と思った事は余りないと思います。
キンちゃんが泣けば高松は駆けつけますし、キンちゃんが何か出来る様になれば、高松は一緒に喜んでくれます。仮に高松がキンちゃんの側にいなくても、「勤勉」「親愛」とかの感覚を高松がキンちゃんの中に置いて行ったのなら、やはりキンちゃんは一人ではありません。
キン高の場合、ルザ高の様な「恋」という媒介を必ずしも求めません。生まれた時から側にいる様な人に対し、そこまで熱くなる事は稀でしょうし、高松はキンちゃんと身体的にもずっと一つであるかのような錯覚を覚えていると思います。
キンちゃんがお腹が痛いと訴えれば、高松も自分の腹が痛い様に感じるあれです。ルーザー様はなんて不利なんだろうと思いますが、自分の分身であるキンちゃんを愛しまくる高松をよいものの様に思えたら、ルーザー様も幸せかもしれません。
(キン高って言ってもルーザー様ありきのものだし、キンちゃんに一生懸命な高松を応援できるのはルーザー様ただお一人なのだと、ルーザー様は分かっていそう。逆もしかり。)
■雑感です。自分がオタクになった90年代はセーラームーン人気のせいか、女性漫画家の躍進著しかった印象です。CLAMPがテレビアニメとリンクしながら、レイアースを「なかよし」で発表した頃です。
「耳にした」程度の事で申し訳ありませんが、CLAMPの大川七瀬が「ちょびっツ」はエロい話だと言っていて、耳を疑った事があります。
確かに女の子の形のパソコンが〜と言う話なのでそういえばそうでしたが、絵柄の女性的な可愛らしさの方が勝っていて、ちいにエロとか求めてませんでした。秀樹がエロに反応が大きいなと思いましたが、CLAMPの男性キャラは大体あんな感じなので、「エロです」と言われても首を傾げました。
近年だとブラッドC等も大川七瀬的には「エロ」志向だったのだろうなと思います。血Cも自分は強くて綺麗な小夜しか見ていませんでした。(あと時真がたっつんだった)
■セーラームーンも「可愛い女の子の話」ですが、当時武内直子が「エッチな話が描きたかった」と言っていたので、大川七瀬のコメントを彷彿とさせます。原作セーラームーンはアダルトな描写多めですが、「綺麗」と思わせる雰囲気だったので、何とも思いませんでした。(なかよしの見開きカラーで、まも×うさのベッドシーンはあった)
■何が言いたいのかと言いますと。90年代と言えば亜美ちゃんも「実力ある若手美人漫画家」として一世を風靡しました。自分は当時「すごい人なんだな」と信じて疑いませんでした。大川七瀬や武内直子まで、「エッチな話が描きたい」と公言しているので、亜美ちゃんがエロ好きでも何ら問題ないと思います。
ただし、原作者が「人を選ぶ」エロを「みんなが好きなキャラ」でかますのは無しだと思います。エッチ、エロと言っても、皆が祝福する様な、まも×うさや、可愛い絵柄が魅力なもこなあぱぱさんの「下着姿の女の子」の絵と、亜美ちゃんの好きなものは別物でしょう。
昨今男性でも女性でも、エロを話題にする事はタブーではないと思いますが、アニメージュが拒絶しただろうチャン5の刃や雷の描写他、多分「これでパプワの時の様に腐女子が食いついて、再び崇拝が浴びられる」と亜美ちゃんは思ったのかもしれませんが、アウトでした。チャン5は「描いている人だけが楽しい」漫画ですらなく、「もう描いている人も投げやり」な事がにじみ出る、まずい方のエロでした。 |
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