■谷崎の細雪を読んでいます。谷崎はもしかしたら、当初細雪を普段通り短めの小説にしようとしたのかなと思います。「家庭内」の事件なんて、不幸でオチのつかないものだと思うので、あえて分量で勝負に出たのかなと思いました。谷崎の書く「家庭内」って、卍の様に「夫・妻・妻の親友の3人で薬物を飲んで心中を図る」とか、悲惨なものになりそうなので細雪の尋常さが特異に見えます。
谷崎は自分の変態性を貫くにはここまでせねばならないと言う、指針の様な作家だと思います。谷崎の残した小説の恒久さを思うに、個人的な変態性を普遍化するという離れ業を成し遂げた事は奇跡だと思います。
■温泉に行きたいです。遠くに行かないでも車で15分くらいの場所にいくらでも温泉施設があるのですが、行く時間が無いです。一回1,000円前後で楽しめるあんな温泉、こんな温泉があるのにと焦れます。
■高松は初登場時で43歳です。少年向け漫画の大人キャラと言えば18、19歳くらいで「大人」扱いされる場合もあると思いますが、ナイスミドルな高松が好きです。
スパーク新刊は漫画と小説で52項になりそうです。キン高が多めになりそうなので、ルザ高を優先して仕上げられればと思います。
「キンちゃんがマジックの屋敷で御飯、多分御寿司食べる時、上手に箸を使うので伯父さんと従兄弟たちに褒めてもらえたけど、グンマだけはキンちゃんの先生を知っているので寡黙だった」という妄想は、今回は置いておこうと思います。
「ないしょのキン高」的なのはキンちゃんの挙措全てに言えるのでとても曖昧です。和食を食べる練習とか言って、仲良く焼き魚とか一緒に食べているんだろうなと。(荷風の小説みたいだ。)
■昔話ばかりですみません。チャン5がアニメージュに連載されていた頃、視聴者から作家や役者さんは今よりはるか雲の上の人の様に思われていた気がします。今でも「雲の上の方」は沢山いらっしゃいますが、エヴァ以降、又ネットが普及してから、作り手と読み手の境目が薄くなった気がします。本屋で本や雑誌を買わないでも、気軽に「作家のコメント」等が読める様になりました。
楽しみが増したとも言えますし、距離があるからこそ保たれていた何かの価値が相対的に減ったとも言えるんでしょうか。夏目漱石の頃も、小説を読んで漱石に「自分語り」をしてくる読者や、漱石を慕ってくる学生は後を絶たなかったので、時代のせいとも言えませんが。
逆に「ネットだから身近に感じる」という事もなく、程よい距離を保てる場合は今でも多いと思います。亜美ちゃんはそうでない方の例だろうかと思うのは、チャン5の当時ならどんな「ハプニング」があったとしても、一読者には分からない事だったからです。あくまで読者に届くのは完成した作品なのですから。「身近」?でさえなかったら、亜美ちゃんはずっと雲の上にいられただろうにと思います。
半煮えをズラッと並べられて、召し上がれと言われている感じがして、亜美ちゃん関連では当惑した思い出があります。南国の頃は「勢い」「周囲のフォロー」等が機能していたのに、いつ間にか素だけが残ったPAPUWAを思い出しました。
アラシヤマ→いじめられる リキッド→いじめられる
この両者の亜美ちゃん的な格づけ?が分かりません。リキッド萌えと似通った事を、原作者から贔屓されていないアラシヤマにも施す半煮え。あと、
アラシヤマ→真面目で仕事熱心、強い キンちゃん→真面目で仕事熱心、強い
原作者がキンちゃん萌え、アラシヤマは贔屓しないと言うのなら、この共通性は何なのでしょう。 |
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