■劇中で言われているルーザー様の性格を思うと、「父になる事」に関心があるとは思い難いですが。全くの他人である上に、特異体質でもない高松を大成させたのはルーザー様です。一身上では、秘石眼に頼らない生き方を模索していた気がします。ルーザー様がマジックの言う様な男なら、キンちゃんが生まれた時どうするんだろうなと思いますが、意外と高松が間に入って何とかするんじゃないかなと思っています(妄想)。
■オタク人生をリセットしようとした事があります。数か月で禁断症状に襲われましたが。イベントで新刊を出す以上の楽しみがあるのかと、改めて自分に問うたら、思いつきませんでした。当時コミケ、オンリー等を意図的に申し込まなかったので、泣きたいくらい後悔しました。
オタクと言えども人の子なので、アニメや漫画、小説を愛しても、五感に根付いた感覚しかないはずです。妄想をたぎらせていないで、もう少し他人様に胸を張れる「満足」を求めてみないかと、自分に発破をかけてみました。他人目線の決意なので、あっという間に頓挫しましたが。
■結論から言うと。触覚・視覚・聴覚・味覚・嗅覚をダイレクトに使わなくても、「想像する」だけでも相当満足できます。卑近な例を言えば、「キンタロー様の柔らかい絹の様な金色に輝く髪」なんて、自分は実物を見た事がありません。
海外旅行は過去数回しましたが、意外と金髪碧眼の人って少ない気がします。幼年の頃は金髪碧眼だったけど、大人になってくると髪や目の色が暗くなっていく場合があるらしいので、青の一族が成人後も金髪碧眼なのが漫画的と言うか、子供っぽく見えると言うか。(※フランス、ドイツ、スペイン、スイス、中国に行きました)
「ルーザー様の淡い雪の色を思わせる、宝石の様に冷たい瞳」なんて、自分は実物を見た事がありません。妄想の中の物です。なのに想像するだけで満足に至るとはどういう事なのか。自分は幼少時代から三国志オタクでもありますが、思えば武将や皇帝、軍師達なんて目にする機会はゼロです。
そういう事なのかなと。約2,000年前の赤壁の戦いに興奮できる子供だった自分には、今でも脳内で楽しみを全うする習慣があるのかもしれません。
■エヴァの旧劇場版を見ていると、ユイの真意を分かっているのは冬月先生お一人の様です。ゼーレは人類は終わっているという考えらしいです。ゼーレは人類をリセットして、全く新しい生き物を作ろうとしているから、人は生きていれば誰でもきっと幸せになれるというユイの考えとは合いません。
ゲンドウがユイ、ゼーレ、エヴァに関わるのは「寂しいから」だとして。寂しい人だからユイ、ナオコ博士、リツコに手を出しても寂しいままで。3人の女性はちゃんとゲンドウを愛したと思いますが、根っから寂しい人は、どう愛してもダメかもしれません。ナオコ博士はゲンドウの性格の酷さを分かっていたと思いますが、分かっているからくすぐられたのでしょうか。リツコも。
■ゲンドウのそういう所をユイは拒絶しませんが、自分の真意を夫に話さないあたり、ゲンドウに余計な期待はしていなかった気がします。夫だから自分やシンジを理解し、愛してくれて、一緒に生きてくれるだろうとか、余計な期待しないのがユイなのかなと。
冬月先生はほぼ完全にユイの真意を分かっていました。真剣に生きている科学者同士だから、お互いの意見をちゃんと聞くし、余計な期待やお節介もしないのでしょう。冬月先生がシンジを積極的に世話しないのも、初号機に「理解」以上の態度を示さないのも、ユイがシンジを見守る以上はしない事に似通っていると思います。
(ミサトがシンジを私物化しなければ、テレビシリーズでも冬月先生がシンジに気を使う場面がもっと見られたと思う。ミサトに「人類の未来」とか語れとは思わなけど、酒とセックスと暴力に浸る先に何があるのか彼女に聞きたい。) |
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