■キンちゃんの補佐官就任前後が書き(描き)たくてならないです。お勉強は今月まで、来月からはシンタロー様とお仕事ですよと高松に言われ、総帥室に下見に行くも、総帥室に高松の席がないと言い出すキンちゃん(妄想です)。総帥室どころかガンマ団本部?からいなくなる予定の高松。
ノリスケさんのお母さんの様に、総帥室の掃除やらした後、足早に隠居先へ立ち去る高松。シンタローとすると、自分が新総帥としてスタートするのに、キンちゃんにはママがまだいる様ではならないので、順当な運び。マジックは引退後も堂々と公私でシンタローを溺愛するのに、自分の高松は遠くに行ってしまった事がちょっと不満のキンちゃん(痛い妄想です)。
■谷崎の蓼食う虫の作品論集を読んでいます。職場の昼休憩時に少しずつ読むので遅いです。ある方は谷崎の傑作だと言い、ある方は支離滅裂だと言い、ある方は実験作だと言っている様です。単独の作品として見たら、要と美佐子の離婚問題が解決しないあたりが納得できないと思います。自分は書かれるべくして書かれた作品だと思います。
戦前の作家でも自分は余り沢山は読んでいないのですが、鴎外、漱石、荷風と並べてみると、皆教壇に立っていた人でした。漱石は博士を辞退した事で有名ですが、荷風はあれで教員だった時代がある不思議。あまりに私生活が酷すぎるので続かなかった様ですが。
(新婚早々に、独身時代の恋人と2人で泊まり旅行に行き、その間に父親が他界。親戚一同に浮気旅行がばれ、離婚、恋人と再婚するも早くに二度目の離婚って、荷風でなきゃ出来ないと言うか、そんな荷風に父親の莫大な財産が相続されれば周囲の反感はすごかったと思う。)
谷崎に漱石の文学論や、荷風の様な自己完結性、鴎外の様な内外との抗争的なものが薄いのは、教壇と縁の薄かった事もあるのかなと思いました。初期の耽美谷崎、中盤の古典回帰、終盤の老いてますます盛んな様は主義主張というより、自由に舞う蝶の様に見えます。
谷崎の作品のまとまりのなさを指摘する場合、もしかしたら、博士論文的なものを谷崎に期待しているのかなと思います。ただでさえ未完と蒸し返しの多い谷崎ですし、刺青〜瘋癲まで一貫して「若い女性の足が好きだ」と華々しく主張されているくらいなので、イデオロギー色は薄めの様な気がします。
■高松とグンマについて、高松がグンマを育てたのは寂しさや優しさ、申し訳なさからでなくて、目と鼻の先に「ルーザー様の息子」がいる事への、間接的な発散だったのだろうかと思います。
(親世代のゴタゴタがなければ、結構ドライなグンマが、高松みたいなとっつきにくい男に懐いたのだろうか。)
南国では手の届くところに「ルーザー様の息子」がいるのだから、高松も不審なまでに勤勉です。生物学に医業、技師、教師と八面六臂(何故か学校とか、グンマのいない所で張り切る高松)。なさぬ仲の「親子」、血のつながりは無くとも愛情を注ぐと言うと高松とグンマは美談なのですが、高松が人格者と程遠い人なのを思うと。
源氏の紫の上が、源氏が須磨で「浮気して」作った明石中宮を養女として育てたのは、なさぬ仲の成功例だそうですが、紫の上には愛すべき実子がいません。夫の源氏の数少ない子供を紫の上が育てるのは、正妻同等であった彼女の立場からしても順当です。
高松の場合、紫の上程人間が出来ていない上に、目の前に好きな人の血を受け継いだ子がいるのだから、気はそぞろで、彼にグンマを幸せにしてあげられる余裕があったのでしょうか。
■氷点とグンマ
・氷点は「純粋無垢な美少女が、親世代の不道徳さに悩まされる話」でよかったでしょうか。まんまグンマ世代、高松世代の話じゃないかと思います。
・陽子が養子になった縁組は、犯人の娘を自分の子供として育てる事で、罪を許すとかいう高尚な養子縁組だった気がします。
・そんな高尚さはどこへやら、「義理の兄妹間での愛情は認められるのか」「養子とはいえ自分の娘にいやらしい気持ちを起こす父」「美しい養女を嫌う継母」という、大衆的な内容も大いにありました。
・グンマも週刊誌的な盛り上がりの可能性はあったかもしれないけど、実父の権力と何故か高松に甘い青の一族の雰囲気のせいで、怒りも悩みも半煮えなのかも。 |
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