madeingermany

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...... 2014年11月04日 の日記 ......
■ 雑感   [ NO. 2014110402-1 ]
■順当にマジックに育てられたグンマを想像していました。グンマは高松が可愛がったから甘えん坊になったのではなく、高松と言う男に関わったばかりに、甘えて見せる事で、彼と愛情確認を日常的にせねばならなくなったのかなと思いました。青の一族の中で育てば、金髪碧眼・裕福な育ち・秘石眼と共通項の中で育つので、愛情確認するとしても習慣程度かと思います。

高松は酷い男だとも言えますが、彼も青年時代から特異体質な金持ちに囲まれ、緊張して過ごした結果、悪態と無関心という攻撃性で自分を守らざるを得なくなったのかなと思います。高松をかばおうとかは思いませんが、彼にはルーザー様への憧れが、人生における唯一の救いだったのだろうと思います。

ルーザー様が他界した後、高松が癒される事は永久にないと思われましたが、キンちゃんがいてよかったと思ってます。キンちゃんも高松に関わると「愛情確認」をせねばならなくなりますが、キンちゃんが健康であるとか、仕事を頑張るとか、そういう単純な事で高松は癒されると思います。だからキン高なのですが、愛情なんて確認し合えれば一番いいわけで。



■しつこいですが、自分が学生時代に日文を専攻しなかった事について考えていました。懐古しているわけでなく、意外と最近の悩みにつながっている気がします。

何故自分が好きなものに対し、対象が崩壊するまで関心を向けるのかと言うと、そういう好きになり方をしてしまうからなのかなと思いました。人間相手に出来る「好き」ではないので、対象は二次元がほとんどです。二次元といえども人が作ったものなので、背景や過程があると思いますが、今後はあくまで「発表後」のものを愛そうと思います。



■日文で好きなのは漱石ですが、もし「漱石の作品は架空の世界だから、研究対象にならない」と言えば誤りです。源氏世界が架空の世界だから研究の対象にならないと言うのが誤りであるように。でも自分は心のどこかで、甲野さんや、こころの先生、行人の一郎達に「突っ込めば霧散しそう」な弱さを感じていたんだと思います。

漱石個人も、もしかしたら一皮むけばただのおじさんで、鏡子さんから見れば手に負えない夫だったでしょう。そういう事実を自分は受け止められないから、日文を選ばなかったのだと思います。漱石は憧れであり、貴重な安らぎの場でいて欲しいのだと思います。


■自分の選んだ東洋史が堅牢かと言うと、そうとも言えません。講義第一日目に担当教授から「中国史を勉強しても何にもならない」と言われました。全くその通りで、研究と言うものの初歩を学んだとも言えない位成績の悪い自分には、これで就職できなかったら4年間パアだという焦りが大きかったです。

就活に焦りまくる中で、一応研究しないとならないので、横光三国志への愛情片手に、陳寿の三国志を読みました。自分の将来と、愛した孔明達への探求心が完全にシンクロした瞬間でした。あの緊張と興奮は忘れられません。砕け散るまで三国志と愛し合えたと思いました。

漱石や甲野さん達には、「追求したらどこかへ行ってしまう」恐怖があったのに、三国志の孔明達には地獄の底まで一緒にいける覚悟がありました。どちらがより好きなのかではなく、「好き」の違いだったのだと思います。漱石がただのおじさんだったらショックだろうに、孔明がただのおじさんでも無念にならないのは、自分でも理由が分かりません。

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