■ルーザー様、キンちゃん、高松を並べてみると、「頭でっかち」という言葉が浮かびました。ルーザー様は行動派でもありますが、観念的な人でもあります。自分も肌で理解する事がド下手くそな人間なので、観念にしか生きられない人を見ていると、共感します。
高松も頭でっかちな人ですが、彼の場合、狂おしい程の情熱と愛情を心から流出させてしまうと、自分が恥をかき、報われなさに苦しむ事を知っているから、頭でっかちな生き方を選んだ気がします。高松の内包する感情の量は、本人を苦しめている気がします。ルーザー様に見初められたのは主に知性面からでしょうが、高松のエモーショナルな面も、ルーザー様は嫌いじゃなかっただろうなと思います。
キンちゃんの場合も、頭はいいのに何故と言う感じはあるかもしれません。シンタローやグンマの方が内面的なバランスはいいと思います。特にグンマ程自分をコントロールしているキャラは珍しいと思います。
(「おバカでお菓子が大好きな可愛いグンマ様」は、両目秘石眼で眼魔砲が生まれた時から撃てるグンマが、自分で高松の反応を参考にプロデュースした姿かなと思う。高松はこっちから甘えて頼ってあげないと、世話してくれなそうだから。)
■歴史小説を読むと、冒頭などでその時代の説明などしてくれる事が多いのですが、そういえば若草物語や風と共に去りぬ、又はトムソーヤーの冒険で、時代性が説明された事は余りなかったと思います。世界名作シリーズでも、スッと物語が始まり、「今のイギリスの政策」などは一切知らなくとも楽しめる様になっていました。
よく考えると、セーラが何故一人で英国の寄宿舎にいるのかとか、何故彼女はあそこまで金持ちなのか、時代性が分からなければ説明不可能ですが、物語を楽しむ上では詳細不要でした。だから「お嬢様」の生活に憧れ、天蓋ベットで眠る生活に視聴者は夢見られるのでしょう。
自分はお姫様やお嬢様に憧れた昔を振り切ろうとして、冷静に当時の社会情勢などを知ろうと努めたけれど、実は彼女達の優雅な生活への夢に首まで浸りたくて、歴史なんて好きでいるのかもしれません。それにしても、若草物語のヒロイン達の父は北軍、風と共に去りぬの視点は南軍と思うと、両方面白い小説である事に驚きます。
■風とともに去りぬを読んでいます。大河的な作品をゆっくり読みたいと思っていたのですが、もうスカーレットがタラに帰って来ました。急いで読んでいるわけではないのですが、メラニーが無事アシュレーの子供を生めるのかというあたり、とても本を置く気になれませんでした。無事生まれてよかったです。
スカーレットは美人だけど我儘で自己中な女性だと聞いていましたが、読んでいると、彼女の振る舞いが理解できる気がします。独身時代に、地元の青年達を従えるかのごとく、娘達のボーイフレンドを奪い漁っている姿はどうかと思いますが、令嬢として許される範囲の逆ナンパなので、そんなに違和感はなかったです。
作者が性格の悪いヒロインを書こうとしたは、オースティンのエマですが、あれもエマは懸命なだけで空回りするだけだった印象です。エマはどんな振る舞いが最適なのかと言えば、「本等を読み、ナイトリーと結婚する」事なので、そういうエマなら、エマの上流階級らしいギャグ展開は読めなかったでしょう。
スカーレットはレットの思う様な女性には成長しないと思いますが、好きになれそうだなと思います。派手好き・男好きで嫌われると見えて、実は「男はあかん」と内心思っていそうな所が好きです。レットの持ってきた豪華なドレスにウキウキしていまう彼女は、自己中というより正直なだけの様に思えました。 |
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