■エゴとくれば漱石の明暗かなと思いました。津田は冒頭から病人で、未完部分直前も療養中です。漱石は登場人物を病気や旅行という非日常の場面に突き落とすのを好みます。普段はエゴを抑え込むけど、何かあるとエゴをむき出しにするという事でしょうか。
お延の受ける集中砲火は、「彼女が津田をだまし贅沢をしている」という非難ゆえですが、津田もお延に見栄を張るので、結局延が追い込まれます。津田夫妻のエゴの行方が知りたかったです。多分延が流産し、苦しむのを、俺も大変だからという理由で、相手にしない津田の描写があっただろうと思います。夫からも冷たくされ、岡本にも弱みをさらけ出した延の内面とか、読んでみたかったです。
■南国後、キンちゃんが「一人でできる」と高松に言い張ったのは。
・高松が怪我をして、心配で一杯のキンちゃん ・暴力をふるうとはこういう事だと、ルーザー様は教えたかったのだろうか。 ・手術後の病室やリハビリ中、高松と水入らずで過ごすキンちゃん。怪我人だけどキンちゃんに応急処置の仕方など、教え続ける高松。
・高松と好き合い、退院後もゆるぎない愛情で接し合えると思ったものの、「私は部下」という態度に急変する高松。 ・思ったように高松が愛情を示してこないので、不満のキンちゃん。怪我をしたというハプニング故の高揚だったのかとも思ったが、「私は部下」という割に、やはり自分の世話をしようとする高松。混乱のキンちゃん。
・俺の事好きでも何でもないのに、馴れ馴れしくするなと高松に怒るキンちゃん。高松にすれば、青の一族の御曹司の側にいるなんて、御曹司が甘えん坊のボンボンでもなければ普通は無理な話。部下と言うギリギリの許容範囲で愛し合えれば儲けものなくらいなので、キンちゃんに「馴れ馴れしい、来るな」と怒られれば引くしかなく。
・高松隠居後、数年かけて思いを確かめ合うが、また起きたハプニングでガンマ団に舞い戻るドクター。恥ずかしいやら照れくさいやらのキンちゃん。高松という男は、心を込めて大事にしてやらねばならないのだと、ちょっと学習。
■妄想です。香川の子供達は、一回は遠足で栗林公園に行くのだそうです。広い日本庭園なので、一周歩けば丁度いい距離ですし、四季の彩りや、鮮やかな松の緑が美しいです。高松が四国のどこの生まれかは分かりませんが、幼少期を四国で過ごしたのなら、一度はこの公園を訪れたでしょう。群馬県民が、一生に一回はぐんまの森に行くように。
ルーザー様が生きていたら、キンちゃんが父と高松の側で大きくなったら、一回は栗林公園に行っただろうと思います。高松が公園を見せてあげたいと言わないと思いますが、キンちゃんは試験が終わったら両親と行くのだと、ルーザー様と約束してしまいそうです。そういう事でないと父と仲良くしゃべる機会が持てなさそう。
香川の栗林公園に行って来たと、嬉しそうに話すキンちゃんと、お父様の庭の方が広くて豪華だと思うグンマ。
■風とともに去りぬを読んでいます。今、ジェラルドが他界しました。スエレンの振る舞いは手に負えないですが、ジェラルドとエレンの苦労を知らずに育ち、スカーレットの奮闘にも興味のないスエレンには、ああいう態度しか取れなかったのだろうなと思います。
スカーレットが我儘な女の代表の様に語られる以前に、スエレンのどうしようもなさの描写が手ぬるいなと思いました。女性だから我儘で物知らずで、男に頼って生きるのが当然という世界なので、ある意味スエレンの態度は許容されるのかもしれません。男を蹴散らして生きるスカーレットの生き方よりは。
■風と共に去りぬの不思議な所は、恋愛ものとして読むと、スカーレットが全く恋を楽しんでいない点です。アシュレは妻子も養えないヒモで、チャールズとフランクは利用しただけ、レットとも戦友にはなれそうでも、夫としては付き合えないかもしれません。
レットはスカーレットの美貌とたくましさに惹かれていると思いますが、彼女を恋人にするには、彼女にひざまずく必要があるので、彼女と恋愛をするのを避けている気がします。スカーレットが色気と媚を武器にして自分に近づいてくるのをレットは喜びませんし、彼女が男の様に働いていれば、異性っぽくないので、いざ恋愛をしよう訳にはいきません。
恋愛に不向きな女性というと、オースティンのエマを思い出します。ハリエッとが身分の丁度いい男と結婚するのが退屈だったので、村中の恋愛劇をひっくり返してエマはいい気持ちになっていましたが、ハリエッとがナイトリーを慕っている事を知り、自分の愚かなお節介を後悔します。
風と共に去りぬは、オースティン的なユーモアやハッピーエンドがない分、ひたすらスカーレットが苦しみます。女性は男なんていなくても生きていけるのに。 |
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