■何かのネットの記事で、漫画で不幸な家庭環境を描く作家は幸せに育った人で、逆もしかりという事を読みました。漫画家の成育歴とか読者は基本的に知らないで済むと思うので、何か漫画を読んでいて引っかかった時にアンサーの一つとして覚えておこうと思います。
自分の書く高松は、多分幸せです。好きな人から愛された記憶もあるでしょうし、その人の子供に陰ながら尽くした事もあれば、努力の甲斐あってその子と出会えたりで。
高松が劇中で不幸な人かといえば、幸せではないでしょう。そうでないなら、両目秘石眼の、感情だけで人が殺せる幼児(グンマ)に自分から近づかないでしょう。不幸って、何が不幸とかでなくて、出口も灯りもないのが不幸だと思います(高グン)。前述の漫画の不幸描写は「絵になる不幸」だと思うので、幸せな人の考えた不幸なのかなと思いました。
■色々考えてましたが、南国後のファンブックのタイトルが、柴田亜美ファンブックであるあたりで、全て想像出来たと思います。南国、PAPUWAという、個別の作品をつなぐ意味での柴田亜美ファンブックという名称だとも考えられますが、例えば、るろ剣を楽しみたいのに、和月先生のプライベートとかバンと突きつけられたら、どうかという問題です。
漫画家のプライバシーが、全く好奇心を刺激しないかというと否ですが、読みたいのは緋村剣心の内面のドラマ、神谷薫というキャラであって、和月先生の価値観がにじみ出る事はあっても、キャラ・ストーリー先行だろうと思います。この間の志々雄の漫画は読んでてスカッとしました。作者の価値観は漫画の質で示せという好例かと思います。
PAPUWAのシンタローの声は、鳥海さんでした。鳥海さんなら複雑なシンタローの心や立場を、見ているこちらにも分かりやすく演じてくれるだろうと思います。もしPAPUWAがもう少し失速しないでいてくれたらと思いました。アニメ化、ファンブック、公式二次アンソロと、花火の様に咲いて散った気がします。
■風と共に去りぬを読んでいます。ラブストーリーだと思って読んでいたら、アシュレを美化するスカーレットのあたりで違うなと思い、大河ものとしては政治が背景としては遠すぎると思いました。
何より、スカーレットが「男はいらない」「子供もいらない」「女友達もいらない」という女性なので、余程スピード感のある物語にしないと、スカーレットが生き生きしてこないのではと思います。チャールズの戦死、フランクの射殺と、ドラマの盛り上げどころは気のせいか似ている気がします。
スカーレットが男をだますとか、貴婦人らしくない行動を取るとかだけで物語は進まない様で、彼女に後悔や自省を促す場面もあります。ただし、スカーレットがチャールズの無垢さに惚れ直すとか、フランクの愛情に打ち震えるとかしてしまうと、スカーレットらしい行動力が精彩を失うので、結果、夫達はスカーレットと死別か離別する事になります。
レットとスカーレットは結婚しますが、結婚生活について、読む前から破綻するだろうなと思いました。レットは薄情に見えてロマンチックで家族思いですし、スカーレットはどこまで行ってもドライでリアルで男は不要な女性です。レットが夢見た様な、虚飾や見栄の張り合いの無い、愛情に満ちた家族生活なんて、スカーレットには与えられないと思います。 |
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