荷風の断腸亭日乗を読んでいます。淡々とした日記ですが、ところどころ荷風らしい挿話もあり、やっと10年分読みました。あと30年分くらいあるので、ゆっくり読みます。荷風の女性観がすさまじいです。あえてすさまじい方ばかりを荷風は好むのか、それが女性というものなのか謎です。
■ルザ高妄想です。
・ルーザー様と親しくなりたい高松。 ・兄弟のために働く事以外関心がない、ストイックなお姿に惚れたのだから、その願いは我儘だと思う高松。 ・自分もルーザー様の弟なら、彼から大事にしてもらえるのではと、思い詰め高松。ハレにその発想がばれて、俺とお前は同期だから義兄弟になろうと提案され、喧嘩。 ・ハレと喧嘩してスッキリしたので、ルーザー様に「お兄さんとお呼びしたいです」的な甘えを見せてみる高松。
・高松は(色恋でなく)僕にそういう気持ちなのかと、がっかりするルーザー様。すぐ誤解は解けると思うけど。 ・キンちゃんが高松をママと呼んだら、むしろ高松は焦ったり慌てたりはしても、結局喜ぶんじゃないかと思う。 ・キンちゃんは高松が母親だったとしても、高松との付き合い方は基本変わらないと思う。ルーザー様の場合は、兄弟と他人の線引きがキッチリし過ぎていて、高松が弟だったら、あれこれ命令出来ないと思う。 ・不器用なルーザー様がいい。 ・キンちゃんはいついかなる時でも高松が側にいそう
■昔好きだった少女漫画家について考えていました。今も活躍されていまして、マーガレットで連載されているので、同じ系列のジャンプにも広告が載っていました。昔から恋愛至上主義の作風で、今の、自分が思う恋愛まっしぐらな姿勢に違和感はありません。少女漫画ならではの気遣いや、相手を思う切なさとか無視して、残酷なまでに自分が愛される事を求めるヒロインはむしろ英雄かもしれません。
夢を追うくらいなら、あたしの事を考えてというエゴの吐露は、多分この作家さんしか描けないと思います。皆、そういうエゴを隠して、何とか折り合いをつけて恋をしたり、誰かを応援したりすると思いますが、流石、りぼんで片思いする女の子に、「貴方はあたしを好きになれば幸せになれる」と言わしめた方です。
(片思いで気がどうかしそうな果てのエゴイズムなら仕方ないかもしれないが、そんな事を言うヒロインが一途ではないのが欠点だと思う。)
その作風はマンガ的というより、小さい宗教の様です。異なる思想を受け入れず、主役の女の子が万物に優先される展開。自分は御活躍を見守るだけですが、作家さんの自己実現方法が明確なので、イラッとはしません。
南国&PAPUWAの場合、原作者の仕事嫌い・同性嫌い・異性が大好き・チヤホヤ大好きと言うのが歪曲してうかがえる時があるので、いっそ逆ハーレム漫画を描かれたらどうかと思います。でも原作者は「幸福な男女」の姿そのものを否定していそうなので、いつまでも着地点の無い作風になるんだろうなと思います。
サビがジャンと再会した辺りで、自己投影のピークだったんじゃないかなと思います。読者には原作者の機嫌なんか分かりませんから、チャン5の伊達の死が無駄になるとは夢にも思いませんし、ヘタリア目当てでジャンプを楽しんでいたら、えらい情報が目に入って困惑するなんて、うなされるだけです。もう子供向け漫画は止めたと思ってました。 |
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